アカイモリ企画

両生類とは水でも陸でも生きれるということでなく水と陸がないと生きられないものたちです

2021年マイバースデーでした

先月ぶりのブログです。
秋も深まって……というかもう冬ですよね。さむーい。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。

先日の記事にはたくさんのお祝いや反応ありがとうございました。
この一年半でなかなか人と会うこともできず
疎遠になってしまっていたように思えていた方からも
いっぱいメッセージや反応いただけたの嬉しかったです。

今年の11月25日に、32歳の誕生日を迎えました。
ちょうどお腹の子も32週だったので(?)某大手フォトスタジオさんで
記念の家族写真を撮ってきました。

普段俳優さん撮っていらっしゃる大好きなカメラマンさんはたくさんいるので
せっかくならお願いすることも考えたのですが
現在の私の体調的に、撮影シチュエーションなどの打合せが
楽しみより大変が上回っちゃいそうなのと
あとこの先親族からフォトスタジオの贈答券とかいただく機会が増えそうなので
下見も兼ねてということで、大手パッケージに身を委ねてきちゃいました。笑

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こちらは待合室で撮った旦那とのツーショット。*1
実際にスタジオで撮ってもらった写真が出来上がるのは来月上旬なのですが
早く近況報告したかったので……えへへ。
おなか大きくなってきました。妊娠線のケアが間に合わない。
この写真めちゃめちゃフォトショで手直しした。笑

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撮影小道具のボード書きを旦那にお願いしたのだけど
家族のために一生懸命デコってくれる姿を見て
なんだか胸がいっぱいになっちゃいました。
毎日私のサポートや手伝いをしてくれる最高の旦那なのですが
そのうえで「私と子のために」でなく「子のためだけに」何かしてくれてる姿は
シチュエーションとしてなかなかなかったので新鮮だったかも。うれしい……。


スタジオでの撮影は、旦那がハンサムすぎてゲラゲラ笑いました。
出来上がりを見るのが楽しみだな。
私たち夫婦は結婚式もウエディングフォトも特にやらなかったので
アルバムに残せるようなちょいフォーマルな写真撮れたのはよかったです。

 

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近況お写真もう一枚。
自身が水泳大好きなのと、かつて実母が私を妊娠中に通ってたと聞いていたので
月イチ程度ではありましたがマタニティスイムに通っておりました。
コロナ禍でなかなか他の妊婦さん出会う機会がない中で
交流こそないものの、近い境遇の人と一緒に身体を動かせたのはよかったです。
最終日に記念写真撮ってもらえたけど、ぽっこーんなってて笑っちゃうなあ。
ヒトが!はいっている!!

 

何が起きるかわからないから、という気持ちがずっとあって
浮かれる余裕もなかなかなかったのですが
どんどんお腹の重みが存在感を増してきて
やっと少しウキウキできるようになってきたかもしれません。
生まれた後はそれはそれで、絶対余裕なくなるんでしょうけどね。
リモート両親学級で言われた「今しかない」という言葉、
旦那も何度か噛みしめてたようですが、一瞬一瞬をなるべく大事にしようと思います。
まあでも、なるようになるし、なるようにしかならない!

 

あ、そういえば。

旦那が出演しているウルトラマントリガー18話、19話

よかったら公式で無料配信もございますので、ご覧いただけたら幸いです。


www.youtube.com

続けてごらんいただけたらもちろん最高ですが

出演見てみるか~という流れでしたら

19話だけでも十分お楽しみいただけるかと思います。

髙橋麻琴をどうぞよろしくお願いいたします。

 

12月ごろには里帰り……ってほどでもないですが

拠点を千葉の実家に移してゆっくり養生してすごす予定です。

少し早いご挨拶ですが、みなさまもよい年末年始をお過ごしくださいませ。

*1:今回使用したスタジオは基本的に自分の端末での静止画撮影はNGなのですがキャンペーン利用して許可の元でオフショット撮りました

2021秋の近況報告

ご無沙汰しております、年代果林です。
近況報告のブログでございます。

8月に出演予定だった三十九祭が新型コロナのあんちくしょうのせいで中止になって
そのタイミングで色々とみなさんにお話ししようかなと考えていたことも
ずいぶん延ばし延ばしになってしまって。

三十九祭、寄席三十九の中では寿限無をアレンジした噺をやろうと考えていたんですよね。
枕だけ文字に起こしてたんで、まぁ読んでいただければと。

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2021年7月、五輪が始まるその少し前、ラのつく推しが燃えた

Twitter内で呟かれたツイートに対して
bioに転載お断りの明言などがない方は
記事中で引用させていただいている場合があります
不都合、削除依頼ありましたら連絡ください
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私はこんな皆さんに魂を託しました✌

おふえんBチームのみんなの紹介記事書きたいと言いながらも
公演チケット自体は開演前に完売してたし
なんか(~諸々の言い訳~)書く時間作れなかったし
でも絶対書き残すことはしたい! という気持ちだったので
せっかくだから「私はこんな皆さんに魂を託しました✌」のテイで
記録を残させていただきます。
俳優さん紹介というよりは、この俳優さんがこの役をやったよ、
ここがすごく推しポイントだった!という感じで。
私が参加してた時期の稽古の思い出も添えて。

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年代果林の「どうして演劇なんだっけ」

どうして演劇なんだっけ。

「どうして演劇なんだっけ」って、ずっとここ数年、考えてきたことのような気がする。
企画書読んだとき、なんて恐ろしい問いなんだろうって、
大田区役所の階段の踊り場でぼんやりしちゃった。
たしか滞納してた税金をなんとか払ってきたとかだったかな。

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参考画像(クソコラ)

たぶん私は全然真面目じゃない人間で、なにも頑張れなくて、
うまくできなくて、たくさんの人にたくさんの懺悔をしなければいけなくて
どんな順番で話せばいいかわからないや。

小学生のころからインターネットに夢中だった。
HTMLでジオシティーズに個人サイトをつくり、ブログに詩人気取りの厨二病めいた散文を載せ、
お絵描きBBSでちょっとした落書きをして交流していた。
高校時代に至っては授業中ガラケーでずっと2ちゃん見てたし
見知らぬVIPPERmixiのパチモンみたいなサイトで交流するくらいで友達いなかった気がする。
インターネットはなんでも教えてくれた。現実でしか探せないものなんてあるわけなかった。

高校の頃にドラマの『相棒』にドハマりした。
この辺を語ると拗らせ厄介オタクの長語りが始まるので*1割愛して
劇団扉座、という劇団の舞台を観た。

インターネットでいくらサーフィンしても決してたどり着けない輝きがそこにあった。
目の前で繰り広げられる生身の人の汗、躍動、熱唱。
なんかガツンときた。「現実」は、こんなに面白いことがあるんだ。
死んだような目で見ていた世界が一気にカラフルになった。

いくつかの作品を観たけれど、やっぱり印象的なのは『ドリル魂』
大学受験控えてるのに千葉の柏から汐留のイベントや池袋の劇場駆けつけたりした。
今でも元気ほしいときはCD聞いてる。Weますぐ現場。
ちなみに買ったDVDは20代前半に一瞬交際してた某演出家に借パクされた。返してくれ。

大学受験は学生演劇やりたくて早稲田か明治かなってなって
明治大学に小論文で受かって、でも入ったら騒動舎なくなっててワロタ。

そこから先は……なんだろうな、そこから先の10年は、
私にとってはかけがえのない過去ではあるけど、あまりに周囲に対して不誠実で、
わがままで、その場しのぎ的で、どう書こうとしてもごめんなさいが先に出ちゃうけど
たぶんそんなこと今さら言われても困るだろうから、色々あったねってだけ。*2

あ、でも学生演劇でスタッフワークは色々教えてもらった。
照明部も、その時気になってた先輩が照明班だったからってだけで、
最初は脚立コワイとヒーコラ泣いて仕込みが進まなかったり、
シュート中に他部署の休憩が楽しそうで気が散ったりとまじでクソ部員だったんだけど、
そんな私を根気よく面倒見てくださった明大の先輩方、
お手伝いに呼んでくださったたくさんの照明家さん、本当にありがとうございました。
明かりのデザインの良し悪しがわかるセンスが自分にあるかは未だにわからないのですが
舞台照明はとっても大好きだし楽しいです。光は美しい。
ご縁がありましたら今後ともよろしくお願いいたします。

なんだっけ。
みんなさ、ちゃんと演劇に打ち込んでて偉いな。
他のこともちゃんと頑張れた人たちばっかりなんだよな。

私は運動はもちろん絵も、音楽も、全然続かなくって
演劇は、本番あるからかな、なんかとりあえず形にできて
でももっと、本気になったらもっとちゃんとやれた気がする。

所属してた劇団についても語るならこのタイミングくらいなんだろうけど
どう語ったもんかな、むずかしいなぁこればっかりは。

あと一度、ずっとバイトで入ってた旅行雑誌の編集に契約社員的なそれとして就職したりとか、
でもやっぱり舞台やりたくて戻ってきたりとかそういうのもあったね。
大学卒業時は就活しなかったな。スマン父アンド母そして弟。

なんだかんだでずっと小劇場にいた。

居場所が欲しくて、いい感じに受け入れてくれるところを探して
でも演劇が楽しいのかだんだんわからなくなって

そんな時にギジレンに出会った。

……ここから「私とギジレン」語りパートを一度書いたんだけど
やっぱり恥ずかしくなったから消した。

とにかく私はギジレンと出会った。
なんか、演劇が好きなのか、演劇から離れるのが怖いから続けてるだけなのかわからなかった
そんな自分がギジレンと出会って演劇めちゃ楽しいってなった。
めっちゃキラキラして、演劇ってこんなに面白かったんだって思い出して。
でも、それが当たり前のようになっていってだんだん慢心してったんだろうなあ。数年後。

出たかったしなんなら出るつもりになってたギジレンのオーディションに落ちた。

これ、マジで、いま思うとメッチャクソ恥ずかしい。
あの頃の自分は確かに何も他の魅力的な人に勝てる要素もなければ勝つ気概も足りなかった。
そのくせなんか世界の全部から否定されたような気持ちになったし
その時はもはや自分の中で「演劇=ギジレン」ですらあったから全部辞めてやるの気持ちになったし
なんなら5さいの「おふれん」の途中くらいまで客席で
もう実家帰るか千葉だけどみたいな感情だったんだよな。

ちなみに落選の報が来たのはモノローグ演劇祭予選の日の朝4時とかだった。
逆に一年間「ぜったいきれいになってやる☆」(©小林賢太郎)的な発破をかけて
自作自演のモノローグに取り組めたのは、すごく財産になった。
私がもういいやと思ってしまえばそこで終わるような状況で
物語の中の私の想いをどうにかして客席のその先まで伝える方法がないか
伝わる演出は、伝わる演技は、引き出せるコンディション作りは、
そう考える機会を初めて得たのかもしれない。
遅ぇよ。何年やってんだよ。10年? マジか……

いつだってそうだね。もっと早く気づけたらよかったことばっかりで
でもその時にならないと気づけないんだよな。
たくさんの人に懺悔をしながら生きるけど、この先の未来を変えていくよ。

なんだっけ。
ギジレン5さい、悔しかったけどめちゃくちゃよかったし
生きよう、楽しい演劇は世の中にあるからまだ食らいつこうって、そう思ったんだよな。

そこからのおふえん。
そこからの降板。

これについては、もう、どう語ったもんか難しいところなんだけど
まずは座組や関係者の皆様に大変なご迷惑をおかけしたこと
そしてこの椅子に手を伸ばしても届かなかった人に、ごめんなさい。

稽古、めっちゃくっちゃ楽しかったんよ!!!!!
向上心の殴り合いみたいなメンツに囲まれて
(そしてそれを感じ取れる私の感度の成長があって)
たくさん試したり提案したりできる現場があって
数回しか参加できなかったけど、演劇、クッッッッッッソ楽しいな!!!ってなったよ。

そうだ、
「どうして演劇なんだっけ」

自分の中で「居場所が欲しいから」「仲間といたいから」演劇にすがりついてるんじゃないかって
それがずっと怖かったんだけどさ。

今回、ただ「居場所が欲しかった」だけなら、降板を選べなかったと思う。
だけど、パワフルに向上心と熱量の殴り合いで組立っていく物語を感じながら
「現状稽古場への移動すら体調的に怪しい自分がこの作品をよくするためにできることはなにか」
そう考えた時に、博打のような身体で熱量下げちまうくらいなら
魂を預けて、頼んだ!!!!ってバトンを渡そうと、そう思えた。思うに至れた。

(結果論だけど6月後半はマジで2日に1日はベッドで横たわる以外のことできなかったので早めに相談できてよかった)

演劇は、みんなをワクワクさせることができて、そしてきっと誰かを救える、
とっても楽しいことだって、思い出させてくれる現場だったから。

長い文章書いた割にはまとまんないな。

どうして演劇なんだっけ。
いま一回私の中でのアンサーを文字で書いたけど、やっぱり消した。笑
でも後ろ向きな理由じゃないって思い出せたんだ。

正解は、どうぞ劇場へ。
きっと答えはそこにあるよ。

 

↓関連記事という名の2年前のギジレンへのラブレター↓

nendy.hatenablog.com

*1:ちなみに砂本量さんの脚本が好きです

*2:ちょっと詳しい人なら「扉座好き、かつ明治大学行ったのに、扉座と縁がないの?」と気づくかもしれないけど、そう、そうですね

あなたのイチブしか知らずにいたい

実は他者の人生に踏み込んで抱えられる量ってある程度決まっていて、今までは「自分に見える部分」だけを取扱うことで、たくさんの他者と触れ合ってもなんとか社会や生活は機能していたのかもしれない。それがSNSによって、あらゆる人のごくごく個人的な部分まで目に入り流れ込むようになってきてる。

これはTwitterにより発生した話ではなく、むしろmixiやブログなど「他者の日記を読める」ようになった頃から、その流れは生まれていたのだろう。
あるいは別の観点で、SNSが既知の相手と繋がるツールとしての役割も大きくなり、それまではネット上の知らない他人の深い個人的な吐き出しだけを誰とも知らぬまま閲覧してたのが、ごく身近な人の心の内まで覗けるようになってしまったというのもある。

「あなたのそれを知らなければ、よき仕事仲間/友人でいられたのに」となる部分は人間誰しも絶対ある。それは宗教的信念だったり、内に秘めた差別意識だったり、政治的スタンスだったり。呟きによって、知らなくていいこと、までどんどん大っぴらにしてしまう流れがある。個人の判断の上での発信とはいえ。

 

自分が勝手に想いを投影して想像を巡らせる相手、が、減ったな、と思う。偶像が足りない。


たとえば私は最近行きつけの大好きな店があって、店長も私を認知してくれてるんだけど、私は店長の名前も知らない。

店長のSNSの発信があっても読みたいと思わないな。誰かを攻撃してたりしたら泣いちゃうし。店長はたぶん優しいけれどもこだわりが強い人で、だからこそ、私の好きなあの美味しい料理が作れるとわかる。でも、いい作品を生む人がいつでも人格者だとは限らない。

あの店長はどうしてあそこに店を構えたのかな、有線はいつも洋楽だけど好きなのかな、店内の絵葉書は誰かのお土産かな、そう想像を巡らせるのが楽しい。答えを知りたいわけじゃない。むしろ知らない方が楽しい。ただの客として、美味しい料理をいただく、それだけの関係がいい。個対個、は疲れる。

たぶん、仮の話で、店長が特定の人種や思想を差別するような発言をしたら、私は「好きだったのにガッカリした」と言うと思う。そしてもう店には行かなくなると思う。
ファンやめます宣言をする人は元々ファンじゃなかった、みたいな風潮嫌い。勝手に誰かを好きでいたり嫌いになったりする権利は誰にだってある。

閑話休題

あの店長が何を考えて、どんな評価を周りからされていて、あの店にどんな歴史があるのか、たぶんレビューサイトとか見れば簡単に知れてしまうのだろう。もしSNSをやってたらそこから覗くこともできるのかもしれない。

でもまだまだ、観察し、想像し、慮る、そういうコミュニケーションを楽しみたい。最近のささやかな至福の時間なのだ。妄想を押し付けてしまったらそれは暴力性を孕むけど、内心にはいつだって自由が保障されている。