アカイモリ企画

両生類とは水でも陸でも生きれるということでなく水と陸がないと生きられないものたちです

年代果林の「どうして演劇なんだっけ」

どうして演劇なんだっけ。

「どうして演劇なんだっけ」って、ずっとここ数年、考えてきたことのような気がする。
企画書読んだとき、なんて恐ろしい問いなんだろうって、
大田区役所の階段の踊り場でぼんやりしちゃった。
たしか滞納してた税金をなんとか払ってきたとかだったかな。

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参考画像(クソコラ)

たぶん私は全然真面目じゃない人間で、なにも頑張れなくて、
うまくできなくて、たくさんの人にたくさんの懺悔をしなければいけなくて
どんな順番で話せばいいかわからないや。

小学生のころからインターネットに夢中だった。
HTMLでジオシティーズに個人サイトをつくり、ブログに詩人気取りの厨二病めいた散文を載せ、
お絵描きBBSでちょっとした落書きをして交流していた。
高校時代に至っては授業中ガラケーでずっと2ちゃん見てたし
見知らぬVIPPERmixiのパチモンみたいなサイトで交流するくらいで友達いなかった気がする。
インターネットはなんでも教えてくれた。現実でしか探せないものなんてあるわけなかった。

高校の頃にドラマの『相棒』にドハマりした。
この辺を語ると拗らせ厄介オタクの長語りが始まるので*1割愛して
劇団扉座、という劇団の舞台を観た。

インターネットでいくらサーフィンしても決してたどり着けない輝きがそこにあった。
目の前で繰り広げられる生身の人の汗、躍動、熱唱。
なんかガツンときた。「現実」は、こんなに面白いことがあるんだ。
死んだような目で見ていた世界が一気にカラフルになった。

いくつかの作品を観たけれど、やっぱり印象的なのは『ドリル魂』
大学受験控えてるのに千葉の柏から汐留のイベントや池袋の劇場駆けつけたりした。
今でも元気ほしいときはCD聞いてる。Weますぐ現場。
ちなみに買ったDVDは20代前半に一瞬交際してた某演出家に借パクされた。返してくれ。

大学受験は学生演劇やりたくて早稲田か明治かなってなって
明治大学に小論文で受かって、でも入ったら騒動舎なくなっててワロタ。

そこから先は……なんだろうな、そこから先の10年は、
私にとってはかけがえのない過去ではあるけど、あまりに周囲に対して不誠実で、
わがままで、その場しのぎ的で、どう書こうとしてもごめんなさいが先に出ちゃうけど
たぶんそんなこと今さら言われても困るだろうから、色々あったねってだけ。*2

あ、でも学生演劇でスタッフワークは色々教えてもらった。
照明部も、その時気になってた先輩が照明班だったからってだけで、
最初は脚立コワイとヒーコラ泣いて仕込みが進まなかったり、
シュート中に他部署の休憩が楽しそうで気が散ったりとまじでクソ部員だったんだけど、
そんな私を根気よく面倒見てくださった明大の先輩方、
お手伝いに呼んでくださったたくさんの照明家さん、本当にありがとうございました。
明かりのデザインの良し悪しがわかるセンスが自分にあるかは未だにわからないのですが
舞台照明はとっても大好きだし楽しいです。光は美しい。
ご縁がありましたら今後ともよろしくお願いいたします。

なんだっけ。
みんなさ、ちゃんと演劇に打ち込んでて偉いな。
他のこともちゃんと頑張れた人たちばっかりなんだよな。

私は運動はもちろん絵も、音楽も、全然続かなくって
演劇は、本番あるからかな、なんかとりあえず形にできて
でももっと、本気になったらもっとちゃんとやれた気がする。

所属してた劇団についても語るならこのタイミングくらいなんだろうけど
どう語ったもんかな、むずかしいなぁこればっかりは。

あと一度、ずっとバイトで入ってた旅行雑誌の編集に契約社員的なそれとして就職したりとか、
でもやっぱり舞台やりたくて戻ってきたりとかそういうのもあったね。
大学卒業時は就活しなかったな。スマン父アンド母そして弟。

なんだかんだでずっと小劇場にいた。

居場所が欲しくて、いい感じに受け入れてくれるところを探して
でも演劇が楽しいのかだんだんわからなくなって

そんな時にギジレンに出会った。

……ここから「私とギジレン」語りパートを一度書いたんだけど
やっぱり恥ずかしくなったから消した。

とにかく私はギジレンと出会った。
なんか、演劇が好きなのか、演劇から離れるのが怖いから続けてるだけなのかわからなかった
そんな自分がギジレンと出会って演劇めちゃ楽しいってなった。
めっちゃキラキラして、演劇ってこんなに面白かったんだって思い出して。
でも、それが当たり前のようになっていってだんだん慢心してったんだろうなあ。数年後。

出たかったしなんなら出るつもりになってたギジレンのオーディションに落ちた。

これ、マジで、いま思うとメッチャクソ恥ずかしい。
あの頃の自分は確かに何も他の魅力的な人に勝てる要素もなければ勝つ気概も足りなかった。
そのくせなんか世界の全部から否定されたような気持ちになったし
その時はもはや自分の中で「演劇=ギジレン」ですらあったから全部辞めてやるの気持ちになったし
なんなら5さいの「おふれん」の途中くらいまで客席で
もう実家帰るか千葉だけどみたいな感情だったんだよな。

ちなみに落選の報が来たのはモノローグ演劇祭予選の日の朝4時とかだった。
逆に一年間「ぜったいきれいになってやる☆」(©小林賢太郎)的な発破をかけて
自作自演のモノローグに取り組めたのは、すごく財産になった。
私がもういいやと思ってしまえばそこで終わるような状況で
物語の中の私の想いをどうにかして客席のその先まで伝える方法がないか
伝わる演出は、伝わる演技は、引き出せるコンディション作りは、
そう考える機会を初めて得たのかもしれない。
遅ぇよ。何年やってんだよ。10年? マジか……

いつだってそうだね。もっと早く気づけたらよかったことばっかりで
でもその時にならないと気づけないんだよな。
たくさんの人に懺悔をしながら生きるけど、この先の未来を変えていくよ。

なんだっけ。
ギジレン5さい、悔しかったけどめちゃくちゃよかったし
生きよう、楽しい演劇は世の中にあるからまだ食らいつこうって、そう思ったんだよな。

そこからのおふえん。
そこからの降板。

これについては、もう、どう語ったもんか難しいところなんだけど
まずは座組や関係者の皆様に大変なご迷惑をおかけしたこと
そしてこの椅子に手を伸ばしても届かなかった人に、ごめんなさい。

稽古、めっちゃくっちゃ楽しかったんよ!!!!!
向上心の殴り合いみたいなメンツに囲まれて
(そしてそれを感じ取れる私の感度の成長があって)
たくさん試したり提案したりできる現場があって
数回しか参加できなかったけど、演劇、クッッッッッッソ楽しいな!!!ってなったよ。

そうだ、
「どうして演劇なんだっけ」

自分の中で「居場所が欲しいから」「仲間といたいから」演劇にすがりついてるんじゃないかって
それがずっと怖かったんだけどさ。

今回、ただ「居場所が欲しかった」だけなら、降板を選べなかったと思う。
だけど、パワフルに向上心と熱量の殴り合いで組立っていく物語を感じながら
「現状稽古場への移動すら体調的に怪しい自分がこの作品をよくするためにできることはなにか」
そう考えた時に、博打のような身体で熱量下げちまうくらいなら
魂を預けて、頼んだ!!!!ってバトンを渡そうと、そう思えた。思うに至れた。

(結果論だけど6月後半はマジで2日に1日はベッドで横たわる以外のことできなかったので早めに相談できてよかった)

演劇は、みんなをワクワクさせることができて、そしてきっと誰かを救える、
とっても楽しいことだって、思い出させてくれる現場だったから。

長い文章書いた割にはまとまんないな。

どうして演劇なんだっけ。
いま一回私の中でのアンサーを文字で書いたけど、やっぱり消した。笑
でも後ろ向きな理由じゃないって思い出せたんだ。

正解は、どうぞ劇場へ。
きっと答えはそこにあるよ。

 

↓関連記事という名の2年前のギジレンへのラブレター↓

nendy.hatenablog.com

*1:ちなみに砂本量さんの脚本が好きです

*2:ちょっと詳しい人なら「扉座好き、かつ明治大学行ったのに、扉座と縁がないの?」と気づくかもしれないけど、そう、そうですね