アカイモリ企画

両生類とは水でも陸でも生きれるということでなく水と陸がないと生きられないものたちです

2021年7月、五輪が始まるその少し前、ラのつく推しが燃えた

Twitter内で呟かれたツイートに対して
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2021/07/22に日付が変わるぐらいの頃
実話BUBUKAが発端でTwitter内で炎上がはじまる

ラを人生の柱のひとつにしてる知人がわりと何人もいるので、うまく自衛して生き延びてね……の気持ちである。

オタク、さまざまな他人の感情はうまく遮断して、つよくいきようね。

 作品(表現)の是非は問われるべきなのかもしれないけど、それについて物申す外野の強い感情を、ファンだからといってすべて受け止めたり、何か答えを出そうとする必要はない。し、わざわざいま自分の立ち位置を宣言しなくてはならないルールもないのだ。

「でもだって時代が……」と、言っても仕方ない雑な反論(記事や外野の感想への)を飲み込んでいたのだが、麻草先生がうまく言語化してくださっている。いま何ができるのか、の部分まで。

「時代と価値観とフィクション(コメディ)の表現」に関しては、二ノ宮先生のこのツイートがすごく印象的というか真摯だなと思った記憶。

コンビ名や人名での検索だと有象無象の罵詈雑言がヒットして精神が持たないので「推し燃ゆ」で検索して、推し、燃えたね……ってなってる人たちを巡回している。

「批判する前に作品見て」って言ってしまうみなさん、気持ちはわかるんだけど、批判したい人は作品見たって批判する気持ちでしか見ないからどうせ粗探ししかしないんだよな。
ウンコのついた手で調理してたシェフって認識してしまったらいくら味が美味しいお料理でも食べたくないもんな。

自分でたとえててすごく悲しくなってきた。彼の創作は、作品は、ウンコなんかじゃない……。

こちらも腑に落ちる解説。

mainichi.jp

おっ 解任の報が
いっそありがとうの気持ちだな

今回の「炎上」で救いだったのは、私が彼のことを嫌いにならないですんだことだ。彼が過去にどんな表現をして、それが後世どういう裁きを受けたのか、その文脈は把握した上で、それでも、彼の作品の価値は私の中で色褪せない。揺らがない。

多くの同胞たち(もっと大きな感情を抱えている人たちも沢山いるから気軽にそう呼ぶのも憚られるけど)も、今回の「炎上」で彼のことを嫌いになった、見損なったということにはならず、彼らの作品が与えてくれた輝きやあたたかさを今後も大事にできる、分かり合える友も減ったわけではないのがよかった。

いやだって、うん、そういう表現を過去にしていたこと自体は全然知ってたもんな。

つべの無料公開やめちゃうとかになったらそれはさすがに泣いちゃうけど

変に式開催後に燃え上がって収拾つかなくなって発表された作品にもケチつけられるよりは、あらかじめこんな五輪おろしてもらってくれてありがとうございますくらいの感情よ。というのがライトファンの本音。

初めて見たのはあの作品で、あの作品が好きで、と、作品名だけ挙げて、だからいま私はここにいます、と呟いている演劇スタッフさんのツイート、ハグしたい気持ちになった。

あの頃のああいう表現を、あの頃よりもう少し進んだはずの時代で見た私は笑ってしまって、そのことを思い出した現代の私は、反省をしている。
反省というと言葉がアレだけど、あの時私は笑ってしまったなということも、忘れちゃいけないなと感じる。

全文きた

www.asahi.com

彼らの作品が私のなかで揺らがないというのは、話題になったあの表現を許容するという意味ではなく、私たちは、ああいう表現をしていた彼らが、その後どのように考え、どう変わり、何を大切にしてきたかを知っているから、ということ。

あの表現自体への「あれが許されないのか」に対しては、許されないだろと思う。
そこ論点ズレてると、うーんとなる。

 

(今後何かあれば追記するかもしれないし、しないかもしれない)

 

ことの流れを忘れない