アカイモリ企画

両生類とは水でも陸でも生きれるということでなく水と陸がないと生きられないものたちです

「人権意識を持たないと“損をする”社会」へ

私、人間の“理性”というものはまやかしで
人間はみな損得勘定で動いてると考えているので、
早く「他者を尊重できないととてつもなく損をする」か
「他者を尊重できる人がとても得をする」社会システムを
作るべきなんだろうなと感じております。

「良心に訴える」「理性的になれと呼びかける」ことほど無駄なことはなく
それよりも「いいことをしたら得をする」「悪いことをしたら損をする」
システムを構築すればいい、と。

映画館のスマホマナーから、LGBTに対するメディアの反応、
女性蔑視とも取れるあれやこれやの問題について。
いろんな心かき乱される報道やらワイドショーやらありますが
だいたいこういう視点で解釈して活路を見いだせないかなと、ぼんやり眺めています。

何故人を殺してはいけないのか。


「人を殺してもいいとする」世界では自分も殺されるリスクが高まるから
「人を殺してはいけない」というルールでやっていこう、というのを
コミュニティ全体で共有している、それが現状の社会なわけですよ。
争いをすぐ殺し合いで解決すると生産性低いですしね。

おそらく中学だか高校の授業でやった社会契約論あたりを
自分の中でざっくり噛み砕いて解釈した結果
いま私はそのように世界と社会を解釈してます。

それではそのような社会でルールをやぶるとどうなるのか。
端的に言えば「損をする」仕組みになってます。
家族や友人に迷惑がかかるし、自分も刑罰を受ける。
報道されれば社会復帰も難しくなる。*1想像に難くないと思います。

よく性善説とか性悪説とかありますが
私は人間を動かすのは「損得勘定」だけだと思っています。
それは金勘定に限ったことではなく
自分のコミュニティ内での立場や、人間関係、精神状態も含めて。

“理性”というのは人間が先天的に持つ正しさや清らかな態度ではなく
「自分がこの行動をしたら何が起こるか」を想像して
それが自分にとって損であったら、行動欲求を抑える、そういう機能なのかなと。

劇場でスマホをつける人に「それは迷惑行為ですよ」と言っても
当人の中では、例えばマナー違反を怒られる・白い目で見られるという“損”より
スマホを我慢せず使った時に得るものの方が価値があって“得”するからそちらを選ぶわけで。

だとしたらもう、たとえば
「迷惑行為をしたら退場させて映画を見られなくする損を与える」とか
「電波遮断袋に入れる協力をしてくれたらノベルティプレゼントして得させる」とか
そうやってシステムの方を変えて対処していくしかないと思うのですよね。

ただ、それを採用するコストが、既存客の満足度向上・劇場離れへの足止めになるのか
それを判断するのもまた、損得勘定なわけで。
迷惑者への対応にかかるコストが、満足度向上による集客(収入)に見合わなければ
それは放置した方が企業としては“得”なわけですからね。

だとしたら今度は、迷惑行為で損をしたくない観客は
「迷惑行為に対処してくれたら私はその劇場を評価して宣伝する」など
劇場・運営に得をさせますよ、とアピールしていくという手段が取れる。

逆に「迷惑行為を放置するなら二度と行かない」と宣言して
損させますよ、というアピールもできる。
でも今度はそうしたら自分が劇場で得られたであろう感動を諦めなければならない。
どっちが自分にとって「得」か、よく考えなきゃいけないわけだ。

他人の考え方は容易に変えられないけど
「私はあなたに損/得させることができる」そういうカードの切り方はできる。

変えられない誰かの態度ってヤキモキするんで
じゃあ自分ならどんなカードを切って対抗できるかなと、
そういうの考える方がなんか生産的じゃないすか。

この記事、もともとはマイノリティ差別や女性蔑視についての
解決法を探る思考メモとして書きたかったんですよ。
賃金格差や残業問題あたりにも触れたかったんだけど。
わかりやすいところから入ろうとしたら、冗長になってしまった。

ひっくるめてタイトルです。
「人権意識を持たないと“損をする”社会」へ。

ヒトの考えなんて他人がどうこうできるもんでもないから、
もう「そういうの流行んなくて損をする」社会を作って、淘汰していくしかない。

男尊女卑の会社は辞める。
男尊女卑のムラからは出ていく。
法に触れる不当な扱いは訴える。
立ちいかなくなった時、滅びるか変わるかするのでしょう。

それができない立場の人たちがいることもわかっているけど
誰かを変えようとするより、
自分がよりマシな環境に移っていって、
マシな環境の割合を増やしていくしかない気がしてるんだ。
残業問題とかもそう。

そう思っていた矢先『かんさい情報ネットten.』5/10放送分で
中性的な風貌の一般市民に
男性か女性かをしつこく問いただす様子を面白おかしく放送し
コメンテーターが「人権意識が著しく欠如している」と
生放送で激怒する事態が発生した。

本当に身体が硬直する不快さだったけど
数日後、読売テレビのお偉いさんまで出てきて謝罪してる映像を見て
これはもしかして「人権意識を持たないと損をする社会」には、
少しずつ近づいているのかもしれない。
声を上げ続けた人たちの努力は無駄じゃない。と、そう感じた。

取り上げられたご本人がどう感じているかではなくて(それも重要だけど)
「他者のセクシャリティをあげつらって笑うのは人権意識が低いこと」
そういう認識が社会にきちんと生まれ、機能しつつある。

性的マイノリティであることによって迫害を受けた人たちが
そういった行為が何を生むか、きちんと発信し、声を上げて訴えてきたことで
状況が認知されつつあるのかなと。

唐突に一橋大学アウティング事件思い出して、泣きそうになってきた。
思い出したついでに検索したら、まだ読んでない色んな関連記事見つけちゃって
わー、心に余裕があるときに読もう。。。

このブログ記事、某所でぽちぽちと呟いた思考ツイートのまとめなのだけど、
たとえば「男尊女卑」という言葉を記事中で使ったけど
どういう状況をもって「男尊女卑」と指しているのか
そのあたりの定義や、現状の問題意識が共有できてない人にこれ読まれるの
正直ちょっと怖いのだよね。

今回かなり長文になってしまったけど、それでもまだ
補足しても、し足りない部分がたくさんあるし。
個別のケースについては個別に判断して意見を持っているし
そこをさらに議論していくとややこしくなってくる。

たとえば「痴漢は性欲由来でなく、支配欲、嗜虐心が原因でなされるものが大多数」
という論があることを知ってるか知らないか、
それだけで、どういう議論ができるか、議論の質が変わってくるのよね。

まあでもとりあえず、これはあくまで私の思考メモなので
反駁があるなら自分の庭でやってください。
「反駁」が読めない人はもう何もコメントしないでください。

急にずいぶん攻撃的になったね、私。
過去に嫌なことでもあったの?笑
まあね。

なんでこういうことをモジャモジャ考えてるのかなっていうと
私の大切な人の中に、性的マイノリティでしんどい思いをしてる人がいたり
痴漢被害や性的暴行にあってで泣いてる子がいるからで
それは私にとって、とても苦しい、大きな“損”なのですよ。
その苦しい気持ちを取り除くには何ができるだろう。
それを考えて、幸せになりたいんです。

僕の手の届く人だけでも救いたい。
世界を変えたいとは思っていなかったけど
泣いているあの人を救えない、そんな世界なら滅んでしまえ。

だけどもこの世界で、あの人も私も生きていくしかないから。

今回は損と得で論じちゃったけど、自分の思考ベースがそこなのは前提として
たとえば「嫌なら見るな」とスポンサーのあり方と表現の自由についてとか
「あ、その話題に当てはめて考えると一概に言えない」みたいのまだまだいっぱいあるし
なんかもう取っ散らかってめんd……大変だなーという気持ちになってくる。

論理としてはわかるが自分の感情がそれを許さない、みたいなこともあるしね。
それは感情に依って持論を持ってていいと思うよ。加害に転じなければ。
僕は僕にそれを赦している。

当事者になったら冷静になんてなれないしね。
無理に冷静になることもないと思うし。そういうの絶対心や体に無理出るって。

こんな内容の記事、誰かが書いててもぜってぇ読まねぇなーと思うけど
私が書きたいから書いた。消したくなったら消す。
ここは私のための私の庭だ。

あ、もし言葉とか考え方間違ってたらこっそり教えてね。恥ずかぴぃから。

 

*1:社会復帰が難しくなることについての是非はとりあえず今は置いておきます。日本の現状としての話