アカイモリ企画

両生類とは水でも陸でも生きれるということでなく水と陸がないと生きられないものたちです

目の前で交通事故が起きた、話。

2012年10月11日02:27 友人の友人まで公開

いつか自分の記憶を改竄しない為の備忘録。
事故描写あり。グロなし。閲覧判断お任せします。


稽古場に向かう途中だった。
久しぶりにスピッツなんか聞いてたんだ。
スピッツのよさはロックな精神にあり
そういう意味では『点と点』とか好きだけど
それでもやっぱ、恋をすると
スピッツ聞きたくなるよなぁなんて考えてた。
『空の飛び方』は名曲ぞろいだ、とか思ってたんだ。
『不死身のビーナス』の「オモチャの指輪もはずさない」という歌詞が
やたら引っかかったのを、いまこの文章書いてて思い出した。
悲恋の歌なのだろうか、と思ったことを覚えている。

ラズベリー』の一番の途中だった。
のは、後からiPodを見て知った。


それなりに大きな車道の左側にある歩道を私は歩いていた。
信号を少し過ぎたところで、
白いワゴンが斜めにガードレールに擦るような形で視界に入ってきた。
(後にその車がエスティマであったことを私は調書で知る)


ガードレールにワゴンの車体がこすって、霰のようなものが飛び散った。

人影が飛んだ。

ワゴンはバス停にぶつかる。

そのままワゴンはピンボールのような軌道で走って対向車線で止まった。

人影は私から50mほど先の歩道に落ちてピクリともしなかった。

 

車がこすってるときは「おぉぉぉぉw」としか思えなかった。
ほんとね「w」がついちゃう感覚なの。
「マジかw」って。「おぉ、やってるなぁw」って。

歩道には私だけで、人影はずっと動く気配もなくて。
私はスマホを取り出して、その場から一歩も動かずに119番通報をした。
どうしようどうしようと思うことは全然なく冷静だったんだけど
手が震えて"0"を最初に誤打したことは覚えてる。
スマホは緊急の通報に向かない。

私はずっと119番を相手に喋っていた。
その場からは一歩も動かなかった。
その場からは一歩も動けなかった。


よくドラマとかで、バッと駆けつけて「大丈夫ですか!」とか言うでしょ。
あれ無理。絶対無理。
人通りがほぼ皆無だった歩道に、音を聞きつけて駆けつけた人が来て
そして倒れた人影に「大丈夫ですか」と声をかけるまで
私はそこに近づくことができなかった。

外傷がないのは見てわかった。
私は最初、助手席から放り出されたのかと思った。
(後に自転車対自動車の事故だったと知る)

触れて壊すのが恐かった。
何より、無機質に横たわる身体に近づくのが恐かった。

一番自分に責任のない、自分のできることをひたすらしていた。
チェックの服を着た男の子と、青い服のおじさんが近づいて
はねられた人の安否を確認していた。
左手に建っている会社の人たちがわらわらと出てきた。
近所の人も出てきて、私は住所がわからなかったから
傍にいた男性に電話を変わって話してもらった。
会社の人が、冷やしてはいかんだろうと毛布をかけて。
誰も心臓マッサージとかはできなかった。
はねられた人が男性だったことに、私はしばらく気づかなかった。

 

その後のことはもう特筆することもないから
私の感想を書くけれども。

あぁ、実際に目の前に人が倒れたときの人間の反応って、
全然画にならないんだなぁ。
少なくとも年代果林の反応は、全然画にならないんだなぁ。
だとしたら、いくら役を「自分がそうだったら」から立ち上げるにしても
もっと画になる見せ方の選択をしなきゃならないだろうし
画になる行動の動機って、つまり自分の引き出しにいまのところないものだから
ちゃんと作らなきゃいけないんだなぁ。

なんてことを、救急車が行ってから警察の見聞、調書作成までの
長い長い待ち時間の間に考えていた。

不謹慎ですが、お許しください。


近所のおまわりさんが駆けつけてきた頃に
ようやくワゴンから降りてきた
運転手の40~50代くらいの男性は
「自損事故だと思ったんですよ」と言い
こっちはドラマみたいに「あぁ!」「助かってください!」と
倒れているお兄さんに向かって言っていた。
「ごめんなさい」という言葉は出ないのだな、と思ったのが印象的。
あとで警察の方に聞いたところ、居眠り運転だったそうだ。


車が来るのがあと30秒遅かったら。
あるいは私が稽古場最寄駅を降りたときに
空も飛べるはず』を食傷気味だからと飛ばすために一歩立ち止まってなかったら。
信号をどのタイミングで渡るか迷って考えるために少し止まってなかったら。

私もワゴンから飛び散る霰に突き刺されてたか
あるいははねられて飛んできたお兄さんに当たっていて
どっちにしろ、今のようにこんなに元気な状態ではいられなかった。

でもいまだにそのことに対して恐怖感はなく
「あぁ、どうしても不可抗力なことって世の中あるんだなぁ」
と、なんだかすごい冷めたような感じで捉えている。

お兄さんの安否はわからない。
チェックの男の子と一緒に、警察の人に
「もし安否がわかったら、可能なら教えてほしい」
とは伝えたけど、個人情報とかでやっぱり難しいらしいし。
調書を取り終った22時過ぎの時点では、生きていたらしいけど。

若い警官が「ご遺族は…」と言ったのを
「まだご家族だよ」と、私の調書を取ってた先輩警官さんがたしなめて
あーなんかドラマみたいな会話だ、と薄ぼんやり思ったような。


現場検証とかでずっと待っている間
チェックの男の子が、上着貸してくれた。寒い夕方だった。
はねられたお兄さんは東大生だそう。
私は調書を取るときに「フリーターです」と何度も言った。

運転手死ねよとは思わないけど
(なんかそこへの感情が、処理エラーになってストンと抜け落ちた感じ)
野次馬のジジイには苛立ちを覚えた。
正直、お前の孫が同じ目にあってみろと思った。
お兄さんが救急車で運ばれる前の時に
未就学児童を連れたオバサンが、倒れてる姿めちゃ見せてて
思わず「やめたほうがいいですよ」とも言ったりした。ざけんな。


以上備忘録。
お兄さんには助かってほしい。
北区某所で遭遇した、交通事故でした。

2012年10月22日01:50 友人の友人まで公開

交通事故の話、続報。

稽古場に行く途中、事故現場に白い菊を見たのが火曜日。
同じ現場に、F1の雑誌が供えてあるのを見たのが昨日。

今日は警察署(稽古場からもう少し歩いたとこ)に
調書を取られに行ってきました。
事故直後の運転手の様子について。

「よろよろ」じゃなくて「とぼとぼ」でした。
とか
「ふてぶてしく」じゃなくて「茫然自失で」でした。
とか…。
細かいところを色直してたら、ずいぶん時間がかかってしまった。
見たこと、聞いたことは、感じたとおりに伝える。
わからないことはわからないと言う。
それでも、人にものを伝えるのは本当に難しい。

調書では、なんか勝手に私の心境が書かれてたんだけど
別に厳しく罰してほしい、とか
言語道断の鬼畜め、とは思ってないんだよな。
(や、そんな書かれ方してなかったけど。ニュアンスね。)

真実は知りたい。
事実を受け止めたい。
ひどい、とは感じていない。運転手に対しては。
どうしてだろう、という感情だけが渦巻いている。
でもそれも、拳を叩きつけるような感情ではなくて
ただただ、残酷な映画を眺め続けるような距離感で。

撥ねられたおにいさん、倒れてる時に体つき見たんだけど
◆◆さん(いま客演でお世話になっている劇団員さん)の身体に
よく似ていたんだよね。
一瞬息をのんだくらいに。
何のスポーツかわからないけど、すごく鍛えてあったんだと思う。

やっぱさ、世の中ってどうしようもないことがあるんだよね。
どれだけのものを積み重ねていても
あっけなく壊れてしまうものって、あるんだよ。どうしても。
それは、若松監督の事故死のニュースでも同じ感情が湧いた。

閑話休題
調書を取り終わったら、交通費と日当をもらった。
家を出た時間から、家に着くだろう時間まで計算して、四時間。

一万円。

お金を受け取ってしまったことで
なんだかよくわからない感情がぐるぐるぐるぐるしている。

善意で、真実の解明に協力したいと、
というか、あの場に立ち会ってしまった人間として
あの運命に関わってしまった者として
力になりたい、いや、なるべきだという衝動のもとでの行動だったから
なんだか「お金をもらってしまった」ことが
自分の中ですごくモヤモヤした感情を生み出した。

まぁ、普通の人は時間作るってすごく大変なことだし
確かに私も今日の稽古で遅れて参加できなかった部分は
どう換算しても取り返せるものじゃないんだけど
なんか違う、なんか、なんだろう。なんだろうなぁ。

稽古の帰り道、いつもはショートカットできる道からみんなで帰るんだけど
今日は一人で先に出て、現場の道を通って帰った。

手を合わせた。
一度、供えられた花に向かって。
事故に関して、はじめて涙が出た。
何故かはわからない。
頭と身体と心が、この件に関して連携を拒んでいるように思う。
今日は身体に従って、泣いた。
もう一度手を合わせた。
おにいさんが、倒れた場所に。

案外、ダメージ受けてるのかもしれない、私も。
明後日の火曜日に、今度は検察での取り調べがある。
気遣ってあげないとな。自分のことだけども。
来年になるそうだが、裁判が始まったら傍聴に行くつもり。

2019年5月9日01:33

裁判、行かなかったな。続報も調べなかった。

今でも車の大きな音は嫌いだし
実写の映画で車が衝突するシーンを一人称視点で描かれると気分が悪くなってしまう。

なんで私でなかったのか。
永遠にわからない。
私の中で「もしかしたらあの時」という瞬間は人生で何度かあって
ずっとロスタイムを生きているような気持ちになることがある。

あの頃感じたことはもう手に取るようになんて思い出せないし
だからこそ、7年前の書き出しから私のスタンスが変わっていないことに安心もする。
「いつか自分の記憶を改竄しない為」
人間の記憶なんて、あっという間に形を変えてしまう。

ここ数日、交通事故の報道が多い。
免許返納を考えていた老人が自転車の母娘を轢き殺した事件は
加害者がいわゆるエリート層であったこともあり社会に物議を醸しだした。
元号が令和に変わり事故の報道も減ったが
今度は飲酒運転の車がパトカーから逃走中に対面車線の車にぶつかり死亡事故。
その数日後に、老婆の運転する車が保育園児の列に突っ込み、
園長が泣きながら会見を行った。

私はある時期からある種の諦観というか
「なるようにしかならない」という思いがあって。
大切な誰かが事故に合わないように自分ができることなんて「祈る」ことくらいで
それだって本当は何もできないことから逃避するための自己満足なんだとわかっている。

でも、私の大切な誰かが加害者のいる事故で命を奪われたりしたら
「司法は信頼していません。もう取り返しがつかないので、確実に私も奪います。
 私にはもう失うものはないですから」
と言うのだろうなと、そんな気持ちにもなっている。

司法の信頼が失墜することは私刑が横行することにつながるから
社会としてあまりよろしくないなと肌で感じている、最近。
(司法への不信感がつのる判決や報道が最近多いけど、分野がズレるので今回は割愛)

代弁者になることが怖い、というのはずっと自分のテーマで
誰かの怒りを肩代わりして怒鳴ったり喚いたり涙することは“気持ちいい”けど
ずっと添い遂げる気もないのならこんなに無責任なこともないなと思っていて。

忘れないこと。
考え続けること。
当事者の話をよく聞くこと。
よく聞いて何も提案せずに寄り添うこと。
そして冷静に自分の意見をしっかりと持つこと。

これがずっと色んな事件や報道と向き合って考えてきて、
自分の「誠意」と言えるスタンスなのかなと、感じている。

誰かのためなんて言わない。
ヒトは自分のためにしか動けない。
だけども手の届く範囲の、愛する人は、せめて笑顔でいてほしいな。
そのために最善を尽くすのが、自分も幸せになる方法なのかもしれない。

ずっと考え続けている。