アカイモリ企画

両生類とは水でも陸でも生きれるということでなく水と陸がないと生きられないものたちです

『ロボットト演劇』色々考えてたのしかったよ感想。

 以前ドラマCDでお世話になった劇団粋雅堂さんの「ロボットト演劇」を見てまいりました!

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イトちゃん可愛かった……!
女優さんと「ロボット」の、1人と1体で織りなす『ロボットト演劇』
手作り感溢れる先にある無限の可能性含め、とても面白かったです!
他分野との融合はホント刺激的だなあ。

前情報がほぼなかったのもあって。

そもそも「ロボット」とは何を指していうものだろう?ロボットと呼ばれるそれ自身がなんらかの思考パターンを持ってその場で計算するものなのか、それとも出された指示に従って機械的に運動・音声再生をするものも含まれるのだろうか?

後者の場合、会話を会話たらしめる「間」を操っている人間が後ろにいることになる。女優は舞台上のロボットと芝居をしているのか?その奥のオペレーターと芝居をしているのか?後者の場合、そこにロボットという媒体を介することによって何が生まれるのか。

ロボット、である必然性も考えていた。たとえばぬいぐるみがそこに置いてあって、仕込まれたマイクから音が出るのと何が違うのか。ただ、違うのだ。やっぱりそれとは違うのだ。イトは、グラフィグの形をしたロボットである必要があった。

イトはレーザーによって表情が映し出されていたが、レーザーを使ったことで、ずっと小刻みにゆらいでいた。それがよかった。息吹とは「ゆらぎ」なのではないか。レーザーの震えにより、厳密な意味での「再現性」は失われる。機械が生み出す、二度とない、再生しても再現されない時間がそこに生まれる。

ヒトとヒトとのコミュニケーションにおいて、まばたきから勝手に心境や思惑を推するように、レーザーの(意図して揺らしたものでない)ゆらぎが、時にイトの心の動きに見え、だからこそ音声再生が(アクシデントにより)詰まってしまっても、息をしている役者が舞台上に1人と1体いることで見続けることができた。言葉を発さなくても「止まった」のではなく「黙っている」ように見えたのだ。

レーザーのわずかなノイズも、ヒトや動物が存在するだけで発する呼吸音、吐息のような印象を与えた。そしてレーザーのゆらぎと音がなくなったとき、そこには死と終わりがあった。

ストーリーについては、正直アクシデントもあり笑、正確に追えた自信はまるでないのだけど、火の鳥を思い出したり(私の引き出しが火の鳥くらいしかないという説もある)、アイボの葬式をせずにはいられない人々のことを思い出したりした。

そうしてイトはいなくなり、記憶を受け継いだのはニンゲンであるノゾミだから、どんどんと記憶は美化されていく、その物語の切なさに触れたとき、ちょっと泣きそうになった。(ところでノゾミはニンゲンであってるよね?)

とりあえず、帰り道でババーッと文字で残した感想はそんな感じでした。ゆらぎは命だ、というのが本日の「すごーい!たのしー!」でした。演劇畑の脳ミソと視野だとわからないことや気づいてないこといっぱいありそうだな!いわゆる「ロボット演劇」とも違うジャンルぽそうなのも面白い。