アカイモリ企画

両生類とは水でも陸でも生きれるということでなく水と陸がないと生きられないものたちです

私たちは次世代にレガシーを遺せるだろうか

小劇場クラスタ内で、とある舞台で大量降板が出たことが話題になっている。(15人降板!)

 

色々なことを言う人がいる。いるなあ。

 

思う。

悪事や不義理が「淘汰される」なんて、嘘だよ。

何も知らない人たちが毒牙にかけられていくだけ。


Twitterは「記録の蓄積」に圧倒的に向いていない。

たとえば「2015年に日暮里の某劇場であった舞台演出に関する騒動」と言って、どれだけの人が劇団名を思い出せる?

「2013年に某企画で起きた架空予約事件」の教訓はどれほどの人が覚えている?「2012年の某体験型公演で観客が演者に強制わいせつを受けた件」は?

数年前の某演出家の性的なハラスメントだって、レイプ事件だって、曖昧じゃないか。泣き寝入りだって少なくない。

人は、私たちは、忘れていくんだ。

 

だからこそ「体系立てて記録を残していくこと」「その時の対応・反応・結果を歴史として共有していくこと」こそが、必要なんだと思う。今はそれが、弱い。小劇場に限った話ではないけど。

 

不誠実な者たちは淘汰されると信じたい気持ちもわかる。私も信じたい。
でも、それは「耳心地の良い嘘」だ。

 

私たちは……舞台演劇を愛する人たちはきっと、夢や魔法や奇跡を信じてもらったり、あるいは、ここではないどこかへ行くための手助けをしたいと願っているから、

だから内幕や白鳥のバタ足の部分は見せたくないと思っている。なので内々で処理される話も多いのでしょう。


何が大多数の幸せなのか。

 

わかんないなあ。
わかんないよ。
でもね、きっと楽しい道もあるから。
出会えますように。
どうか、出会えますように。
お芝居は楽しいよ。それは本当だよ。

 

……しかし何が虚しいってさ、たとえば「3人降板」とか、あるいは逆に「公演中止」とかだったら、ここまで話題になってなかっただろうなというところなんだよな。

 

「不誠実な奴は淘汰される」という幻想、言い換えると、その不誠実な奴の起こすトラブルに巻き込まれた人たち(いわゆる"被害者"的な立場の人たち)に向かって

「お前のような、不誠実な奴を見抜けず加担するセンスのないやつがいるから、悪がなくならないんだ」って言ってるに等しいので、傷口に塩を塗ってるなと、それだけは思いますね。