アカイモリ企画

両生類とは水でも陸でも生きれるということでなく水と陸がないと生きられないものたちです

トゥエンティについて色々書いたまとまりないやつ

『トゥエンティ』振り返りをしてみたいと思います。
自分の言葉で自分の何かを振り返るのって
なんだか久しぶりな気がして、どうやったらいいのかまだ迷いもありますが。
え、みんなどうやってどこから振り返ってるのだろう。

備忘録を公開するくらいの心持ちの感想戦ですので
詳しくあらすじなぞったりとかそういうのはしません。
そういうのは覚えていたら年代果林のブログでやると思います。

さて。

店長さん。
台本では店長だったり店主だったりしましたが
純喫茶の名の下に、クラシカル?メイドのアキちゃんをアシスタントに
下丸子に構えたお店でおいしい珈琲を提供しています。

あ、モデルになったお店を辰海さんに聞いていたのに公演前に行きそびれた。
私はわりとテイストとしては大森にある「喫茶 ルアン」をイメージしてました。
あとアニメ『しろくまカフェ』の笹子さん。
反映されていたかは存じません。イメージはイメージで店長は店長。

おとな、ってなんでしょうね。
今作品『トゥエンティ』は20代にやっと差し掛かった子たちを軸に物語が進んでいきました。
そんな中で私と文音さんと門田さんは「おとな枠」だったのです。
見守るポジションなのかなと思って
でも座組内の年齢的にも(カズヤくんを除けば)ほぼそんな立場だったので
結果的に気負わずにできた気もしました。

「おとな」のアイコンを任されるのって初めてで
だけど日々成長していくタイチくん(というか水沢くん)を本当に見守る気分だから
なんだか腑に落ちるなーと最初は思っていたのですが
最終的にものすごく自由にやらせてもらってた気がします。

おとなになるってことは、たぶん色んなしがらみとかを
諦めたり乗り越えたり捨てたりして、ちょっと自由になることなのかもしれません。
アキちゃんと台本にないとこでキャッキャしてた
「お店閉めてきた!」「職権乱用だ~!」「店長だも~ん」というのもそうだけど
おとなになることは、選択肢が増えることでもあるかもしれないし。
あるいは図太くなるとも言う。

ロールやテンプレとしての「おとな」でなく、
私のあこがれる「おとな」を描かせてもらったのは
とても幸せだったなと思います。
店長は「おとな」だけど、気になるものには向かっていくし
好きな人やものには好きってちゃんと言える、うん、あこがれのおとなだったな。

ちなみに先述でアニメ『しろくまカフェ』の笹子さんを挙げましたが
動物のお医者さん』の菱沼さんもちょっぴりイメージモデルでした。
ぜんぜん見え方としては出てないと思うしそれが正解だけど。
佐々木倫子作品に登場する世間ずれした女性に憧れがある。

正直、ほんとに正直、自分の得意な部分に持って行ってしまったのではないかと
後からかえりみて思うところはあるにはあったのですが
苦手なところを無理して平均点伸ばそうとするより
自分の得意なとこぶっちぎって行く方がいいですよと辰海さんも言ってた気がするので
(え、微妙なニュアンスが違ったらごめんなさい、でも私の支えになるような言葉でした)
最終的に私自身も店長さんを愛せてよかったなーと思います。

カズヤくんの死と生の軌跡をめぐる物語ではあったのですが
(いま「性の軌跡」ってタイポしちゃったけどそれじゃ話が全然違うわ)
店長は一番「彼の死の実感」から遠いポジションだったのかなと考えてました。

私が会社勤めしてたころ、会社近くのドトールに真栄田君って子がいて
本当に笑顔が素敵なやさしい子で、たまに添えてくれる言葉にも元気をもらってたんですが
距離感だけでいえばそれくらいか、そこよりもう数十歩近いかなくらいなイメージ。
店長はカズヤ君のお葬式にも出てないし、つまり別れの儀もすませてなくて
なんだかどこかフィクションのような、そんな距離感もあったんじゃないかなって。
でも、だからこそ担えるポジションというか役回りもあるのかなと考えてました。
数年前の自分だったらもっとしっとりメソメソやってた気もするので
そこは今の自分のタイミングで出会えてよかった役だったな、とも。

ちなみに佐藤辰海演出おなじみの「たくさん着替えて他の役」シリーズは
・カズヤの大学のオカルトサークルのメンバー
・猿
をやらせていただきました。あれ、意外と少なかった。

大学生がね……むずかしくてね…
最初「いぇーい☆」みたいなノリで行ってたら
「年代さんと門田が無理したオッサンとおばさ…に見える」と
辰海さんに本気で頭を抱えられました。つらいな!つらいよ!!!!
衣装がアキ役のいけあちゃんが提案してくれた大きめパーカーになって
そこからはちょっとドゥフドゥフめのキャラでいって事なきを得ました。
私の中では「黒魔術ちゃん」と勝手に呼んでました。

ちなみにスポッチャのシーン終盤のタイチ君との掛け合いは役者任せで毎回ランダム。
というか恐るべきルーキー主人公・水沢一心くんの出方に
戦々恐々わくわくといった方が正しいか。
「ろうそくみたい」「キャンドルつよしもおいでよ」が一番好きでした。
小川さんもといカズヤくんが毎回ハケ際に「キャンドルジュンみたいに言うなよw」とか
ちゃんと小さく拾ってくれるのが最高によかった。ありがとごじゃます。

アドリブといえば喫茶店シーンの「氷抜きで」「ポリンキー?」は
カズヤ役小川さんが代役でタイチ君やったときに生まれた奇跡が採用されました。
本当にポリンキーって聞こえたんだもん。(我ながらどうかしてるぜ)
ちなみにポリンキーは店頭販売は減りましたがまだ製造してます。よかったね。
水沢君が「ポリンキーってお菓子だったんですね!」とか言って
ジェネレーションギャップで私の胸は爆ぜた。

そういえば誰も「ベルくん絵描き歌」知らないんだけどなんで!?!?!?!??!!!!
ベルくんとキョロちゃんはみんな絵描き歌で描きまくったでしょーが!!!!!
え?千葉だけ?????(そんな馬鹿な)

共演した女優さん俳優さんについても書きたい気持ちなんだけど
そろそろガソリンが切れそうだな。(私の筆の)
みんな出自も違えば信念も違って、とても面白い座組でした。
プロデュース公演の面白いところであり難しいところでもあるね。
多くの人と出会った人の方が、寛容であり尊重の仕方を知っているのねやっぱり、とも。
それぞれのやり方でやっているのを放っておく、ちょうどいい距離感でした。

ここ数年の発見なのだけど「〇〇な時は××すべきだ」みたいなのってあんまり意味がないというか、
個々人のパフォーマンスが上がるのなら、かつ誰かのパフォーマンスを下げることがないのなら
それぞれ勝手にしとけばいいんじゃないかなーと気づきました。
例えば楽屋でゲームしようが裏で寝てようが
個人のサイクルや集中がそれで保たれているのならよいのだなと。
共演者相手に芝居以外のことでカリカリしなければ芝居にリソースさけるしね。

昔の自分はそういうところをあげつらう嫌な委員長タイプだった自覚があって
それって自分に自信がなかったから他をsageてたんだなと、
組織によって・考え方によっては必ずしもそうではないのだろうけど
少なくとも自分はそうだったのだなと、思うのです。

最近の小劇場俳優は劇団という組織でなくプロデュース公演などが多いと言いますが
そうやって多様な出自の人たちが共に創作をすることで生まれるいい空気もあると思うし
「それぞれがそれぞれのやり方を尊重する」「納得できない部分はすり合わせる」という考えを
早いうちから持っている俳優さんはドンドン伸びていくだろうな羨ましいな~という気持ちです。

それを認める、それをよしとしましょうと言い切れる、
本当にそういう空気を作れる演出家も本当に凄腕だなと個人的には思います。

あ、あと自分がそういう意味で他人にカリカリしなくなったなとは思ったのですが
(余談ですが先日五十里さんにTwitterで「怒ったりする印象がない」という旨のこと言っていただき本当にびっくりしました)
どうしても「人が怪我をする可能性のあること」についてはどうしても怒るのだなーと
二度だけ声を荒げてしまった時を省みて、思ったのでした。
あと人からの借りものを無神経に扱うのもあまり好きではないようす。
新しい自分発見だぜ。

なんだっけ。
本当にみんな愛しい人たちでした。
出演者も、キャラクターたちも。

あー。
日野ちゃんがブログで書いていた「役がお客さんに好かれたい」と考えてしまう話について
いろいろと自分の過去のあれやそれやに勝手に絡めて書きたかったのですが
また別の記事にします。
こう言っておいて書かない奴ですよ、あたしゃ。(だめじゃん)

もういいんだ、これは自分のための場所だって割り切るから……。

それでは良い夢を。ぐんない。