ギジレン島A 箇条書き感想メモ
最近、抽象舞台美術の作品とか観ると、自分の想像で景色を広げてそれが記憶として残ってしまって、他の誰とも共有できない、自分の中にしかない物語が発生してしまうんだよね。
今回も、学校の少し錆びた屋上やベランダの手すりだとか、野球部が人集めに駆け回る島の舗装されてない道だとか、年季の入った居酒屋の店裏の室外機横の空気だとか、そんなものをたくさん自分の中で観てしまって、たぶん誰とも共有できない、私が見た景色がある。
島ボキャブラリーが乏しいので、だいたい以前訪ねた天草の離島の景色からイメージは広がっていった。
ギジレン島、立地的にそんな南の方じゃないと思うけどね。
雑な覚え書きです。
・ナオちゃんタオちゃん姉妹が愛しい(メタで見れば一人二役なのに、彼女たちの間にある生活や想いが立ち上がって見えてほんと愛しかった)
・タオちゃんが、物語の都合や雰囲気に流されて合わあわせたりなんかしないで、ちゃんとそこに立っててくれてよかった
・風太くん家の家族が、エピソードとしては3時間の中でほとんど入ってこないのに、学生やオジサンたちだけでない生活も確かにそこにあって、一緒に滅んでいく、その描かれない部分の厚みが印象深かった
・献心ママの言葉や、人として丁寧に接する態度に救われたし、こういう大人に出会いたい人生だった
・こんな美人女優さんに何言わせてんだ大賞2019(「ちんちん見る」)
・耕太郎くんの独白、よかったなあ。私もいま生きてる現実世界に絶望することがたくさんあるし、この世界に/国に生まれ落ちることが必ずしも幸福だとは思えないけど、でも、友人の家に新しい命が生まれたりするの、本当に、嬉しいんだよな
・人が死ぬと悲しい(片腹おじさん)
・片腹おじさんのカラオケ、何もわからないのにちゃんと伝わる感じが最高に好き。
・ミホちゃん弦ちゃんの関係性、最高だったなあ。あんなんなあ。一瞬、ケジメなんていうから、別れるか結婚かどっちかななんて思ったけど、もう結婚に意味なんてないもんなあ。結婚って、未来への約束だったんだな。高校生の交際における誠実さについて考えてしまったよ。ふたりしてなあ。最高だったなあ。
・あやねちゃん脚がきれい
・よっちゃんさんのTシャツが千秋楽までにダルンダルンになってしまわないか心配
・まことさんは多分役場の人だと思う。人じゃなくてインフラ系まわりの。
・いちかさんのコメディエンヌぷり最高。特にヤマセンとふたりの教室のシーン。
・山本先生、野球やるときちゃんとネクタイをポッケにしまってるの最高じゃないですか?男性のそういう実用性に基づく仕草(?)萌える。
・そういえばふとメタな視点に戻ってしまった瞬間、世界のタイムリミットを知らされたら、この空間にいる人たちはみんな、最後の日に向けて芝居を作るんだろうなと思ったよ。ふと。
ここまで書いてまだまだあるんだけど一回表に出しますね。
くぁー!ヒガちゃんの話とか、あんなに泣いたのに全然書けてない!!話し足りないーーー!
追記しますね!!!
最後の日が来るなんて聞いてない
中学生のころ、初めてお付き合いをした男性、左近允先輩が
「ああ俺幸せの絶頂だなって瞬間に、車に轢かれて死にたい」
という話をしていたのを、よく覚えている。
私の故郷はニュータウンとは名ばかりの開発が頓挫しつつあった町で、古くからの商店街なんてものもなく、商業施設は駅前にできたジャスコくらい。
あとは森と、開発予定が未定のままの草むらの空き地ばかり。
色めき立つ中学生がシッポリふたりになれるような気の利いた場所もなく、私は先輩と、学校帰りに団地の屋上で星を見ながらしょっちゅうふたりで話していた。
私は1999年の世紀末にはまだ小学校3年生で、たとえばちょっと上の世代なんかは、
ノストラダムスだかが流行った頃、いつか来る終末の日を想像しては布団の中で泣いて震えたなんて言うけど、
少なくとも私はそんなこともなく、むしろ21世紀への変わり目だなんて未来に胸を膨らませていた世代の子供だった。
幸せの絶頂で死んじゃいたい。
きっとある種の厨二病的な発言だったのだろうけど、このふともたらされた「理想」は、私の「人生と幸福について」を考える際に、ひとつ、とても大きな存在感を持って居座るようになっていた。
◆
最高に楽しい物語の上演期間中、このままふと、世界が終わってしまえばいいのにと思うこともあった。
ガガガSPの『まつりの準備』にも近い。いやあれはちょっと違うけど。
終わりがきて欲しくない。でも終わりが見えないまま走り続けることもできない。慣れて、ダレて、日常になってしまう日が来る。
だからここで強制的に世界を切り取って、終了させて、密封して、「永遠」にしてしまいたい。
そんな無茶苦茶なことを願うような「作品」に、つまり「世界」に出会うことがあるのだ。
世界、いっせーのせ、で、みんなで終わりたくないですか?
私、ひとりとか、仲間外れが、本当に、耐えられない生き物で、
だから、いっせーのせ、で、終わる世界、本当に理想なんですよね。
かこつけて、そういう、自分が日頃感じてたことを話したかっただけです。はい。お気づきでしょうが。
みんなでいっせーのせ、の、擬似体験できたの、ほんと、最高すぎたんですが。
擬似終焉。なかなかないよ。最高すぎる。
3時間という、短くも長い時間を彼らと共に過ごして、私も島の一員な気持ちになって(会議中危うく挙手してしまうところだった)、そして一緒に滅亡できたの、すごいね、嬉しかったよ。
彼らの世界は続かない。私たちの知らない彼らの「続き」の物語はない。語り部すらいない。
この物語において、彼らと私たちの「終焉/終演」の位置は同じだ。こんなに幸せなことだとは思わなかった。私は客席でひとりぼっちじゃない。
きっといつか世界が、人生が終わった先には天国も地獄もなく、「本日の公演は終了しました」というアナウンスだけが流れる。
<guizillen『ギジレン島 最後の7日間』に寄せて>
パワハラは性別関係なく生まれるよねの話
コミニュケーションの一貫で深い意図なく「可愛いね」「好きだよ」「やらして」とか言う人にたまに遭遇するけど、
— 白井ラテ@1月末新作「窓越し」🏡 (@shirai_Latte) 2019年11月29日
我々は日頃からこういうの(ここまで酷くはないけど)に晒されてるストレスに配慮してほしい。
仕事関係(役者、演出)に言われたら二度と仕事しない。不快。
(引用ごめんなさい🙏) https://t.co/BYekeToVJ8
こちらのツイートを受けて。
昨日風呂場で髪洗いながら、
そういえば私に仕事をくれる人*1がありがたいことに可愛がってくれて
「よかったら結婚しようよ」なんて酒の席でマンツーで言ってくれたこともあったけど
それを聞いた私は「断ったら収入/キャリアに響くかな?」
「どう返せば機嫌を損ねて仕事を失うことなく乗り切れるかな?」って考えがよぎったから、
そういう考えがよぎる関係性で発せられるジョークは
あれはハラスメントとやらに当たるものだったのかもなぁと。
そんなことをボンヤリ思い返したので、自分もこの先、そういうジョークを扱う時には気をつけようと思いました。
意識してなくても、劇団員と客演という関係性ですら
そういう力関係?生まれてることあるし。
そういう意味では、籍を入れることは多少の魔除けにもなるし、
でもそんな魔除けのためじゃなく、
一緒に歩んでいきたい人と、一緒に歩んでいくための手続きとして、
入籍したいものですわね。
あ、あれです、仕事における純粋な先輩後輩・雇用者労働者として可愛がってもらってたと思ってたら、
異性だからゲタ履かせてもらってたのかな?って感じると凹むなーって話で。
変な話、割り切って最初から華を添えるネーチャンとして呼んでいただいてたら(!)、
その程度は想定済なんだけど。
若気の至りの時効の話として聞いてほしいのだけど*2
20代なりたてくらいの頃、自分がキャスティングに少し関わった現場で
飲み会の帰り道の電車で「ねぇチューしてよぉ」って10歳ほど上の男性キャストさんの唇を奪ったことがあったのですね。
その方とは演劇的に長くご縁が続き、出会いの作品含め、今に続くまで良い作品でご一緒してるのですが
最初の現場から少ししたくらいの時期に、また飲みの帰りの席で「チューしてよ〜!」「あの時してくれたのに!」って言ったら
「あの時はそういう現場なのかなと思っただけだよ」と返ってきてですね。
あ、そうか、私はこの人を忖度させてしまったのだなと。
めちゃめちゃ衝撃を受けたわけですよ。
「あの時はそういう現場だと思ったからしたけど、もうしない」と明言してくれる関係性になれたので
もう時効だと思いたい……。
どちらからもあり得るんですよね。
だからこそ私も気をつけなきゃいけない。
あと、そうやって、ホント無意識なことも多いんだろうけど
でも、誰かの生活やキャリアを握る人は!それを意識して欲しい!ね!!!
シフトリーダーとかでもだよ!!!
マジでな!!!!
おうどん
「だからどうした」高円寺編のあのタイマーが好きだった
「だからどうした」で好きな技法というか、ゆたか天才だなと思う描写?シーン?があって。
バイト休憩中のふたりの会話→片方の休憩が終わったので切り上げる、というところで、後輩が休憩時間計るタイマーかけててそれが鳴る、という描き方をしたんですよね。
まず「突然音が鳴ることで、観てる側も急に会話への集中を強制中断される」効果がある。
そしてタイマーという、人の意思が介在せずただ時間が経った事実を伝える道具を使うことで、ふたりの関係性に干渉することなく(片方が逃げ口実のように切り上げるといった見方にならないよう)シーンを終われる。
さらに「バイトの休憩時間をきっちりタイマーで計るいじらしい几帳面さ」という人物描写までできる。(休憩時間タイマーで計るヨコヤマ、すごく分かりみが強いし、いるよねこういう人、と思う)
よく「休憩終わる側が手元の時計を見て切り上げる」みたいな描写は見かけるけど、それってだいたい物語の都合だし、この方法はスマートだなと。*1
もしかしたら私が知らないだけで使い古されてる有名な技術かもしれないけど。
でも、観て楽しい脚本の腕って「どれだけ名言を生めるか」なんかより、こういう、作劇の都合で人間を雑にしない技術の積み重ねなんじゃないかな。
芝居のタイプによっては「わあ!ここで次のシーンに変わるんだぜ!」みたいな転換も大好きだけどね。
その乱暴さというか、作劇の都合だというところにどこまで自覚的かという部分かが重要なんだと思う。
*1:こういう描写でその台詞や行動を「人間」にできるかは、こちらは役者にかかっていて、もっと話したかったのかそんなに気にしてなかったのか、急いでいるのかその場から離れたいだけなのか、というディテールをつめて芝居したら、充分に人物描写にはなるんですけどね
モノローグ演劇祭 作品づくりログ
『松野君への手紙(あるいは恋するニワトリの生んだタマゴ)』を作るにあたってのネタバレ日記をほぼ自分用に鍵垢で壁打ちしたりしてたので、週明けにでも、時系列にブログで並べて制作ノートとして残しておこうかなと思います。 pic.twitter.com/AzejuQscca
— 年代 果林🐓 (@NendaiKarin) 2019年10月19日
そんな経緯で記事にします。
2019年4月30日
世話になってる若手演出家さん(カリスマ)が企画したモノローグの演劇祭(賞金30万)があって、今日はそれの予選でした。
自分が一番真摯に独白できるものってなんだろうと考え抜いた結果、ニワトリの格好をして松野チョロ松に愛と執着と決意を叫ぶパフォーマンスをしてきました。我ながら頭おかしいな。
白紙を持って読み上げ(リスペクト・タモリ弔辞)、自転車漕いだり手紙破いたり紙吹雪撒いたりしました。
私は絵も描けなければ物語も紡げないマンだから、何か自分に出来る二次創作を見つけたかったというのもある……。
絶対に松ファンにこそ疎まれるアレだなとは思うけど……。
ちなみにテキストは5分という制限時間におさめるため、かなり端折ったり、感情がたがわない程度に捏造したり歪曲したりしてます。
というか、あの頃の私に書けたラブレターは、もう1期24話の頃に最高のが出てるんだよな……。
2019年6月4日
なんかうっかり本戦に進出したので、夏は劇場でチョロ松くんに手紙を読み上げます。
2019年7月24日
【#えいがのおそ松さん Blu-ray&DVD 11.6 発売記念 特設サイト】
— 劇場版「えいがのおそ松さん」公式 (@osomatsu_movie) August 21, 2019
✉️6つ子に手紙を送るとお返事が届く「6つ子への手紙」私書箱は、8/23(金)23:59までの開設となります!
是非お手紙お送り下さい♪
詳しくは→https://t.co/TEnYWZjKf4
こういう作品やると決まってたので、ある意味「マジか……」という顔をしてます 円盤
2019年8月21日
ひとり芝居であんまりチョロたゃに呼びかけてたら、なんだかだんだん本当にそのうち会える気がしてきた(強めの幻覚)
先週末にCさんKさんと色々話せてマジでよかった…… モノローグしばいづくり、50回通し稽古やるとかより絶対中身の詰まり具合が増した。
自分の解釈を肉声に乗せて話す機会なかなかないからなー。
2019年8月22日
劇中で歌のピッチをあげることで10秒縮められた……!(制限時間5分をすぎると得票から少しずつ削られるシステムの戦いなので必死
🐓が読む手紙はえいが劇中たかはし手紙と似た構造というか、返事を期待してない一方的な「ありがとう」なんだけど、昨日の稽古で「これこのあと松野くんが追いかけてきて“お礼を言うのは僕たちの方だよ”なんて言ってきたら泣いちゃうな」と思ったら想像しただけでガチ涙出てきて、ひとりでただ泣いてたわ。
松野チョロ松くんが好きすぎて、彼に勇気をもらって行動出来るようになった結果素晴らしい伴侶と出会い、来月にはタカハシ姓になって結果的に彼らの肉声でお礼言ってもらえる立場になったの、くっそウケる面白ギャグなんだよな。誰にもわかってもらえないけど。
ガガガSPの「京子ちゃん」とか「卒業」みたいなのがやりたいん…… チョロ松くんと出会って生まれた衝動をそういう発露でぶつけたいん……
童貞パンク的なものがやりたいのだけど、ああいうのって結局、実在する特定の女の子に宛てた何かのようでありながら、自分の世界/自分と世界 の話しかしてないと思う、それが、夢女イズムと合うなと思って……
どこにも呟けないので(ある種の出落ちだし観に来る人に松野チョロ松への手紙だとバレたらやる前から負けみたいな風に思っているので)、ここに色々書き残してます。
ばら撒く封筒→宛先のない書かれた手紙たち
紙吹雪→形にもならなかった想いたち
最後の手紙は封筒に入ってない→声で届けることを選んだ手紙
ああー チョロ松愛しいな……
(1期18話からのEDからのライジングみてる)
チョロ松が優しい子かと言われると、基本ベースは他者からどう見られてるかで、本質的な優しさでは決してないんだけど、でも人間臭くて人情に厚くて面倒見がよくてほんと、人間なんだよな、チョロ松くん……。愛しい……。
2019年8月23日
チョロ×鶏の新作頒布は18時からです
チョロ鶏というか、チョロ←鶏なんだけど
うおおん🐓
星野源の『恋』の「恋せずにいられないな 似た顔も 虚構にも 愛が生まれるのは ひとりから」の歌詞がすげぇ好きで
結局恋なんて、重めのひとりで見てる幻覚にしか過ぎないんだよな……
重めの幻覚見ても人権奪われないのが二次元のいいところであり悪いところ
悪いところ、ってのは、人はある程度の社会生活を送るには幻覚見てるだけじゃいけなくって…… なのに許されない瞬間がこないから気づけないし成長できないんだよね 目を逸らし続けることが許される 二次元へのガチ恋…… 拒絶も否定もされないから
重めの幻覚を見てる三男推し「高橋のぞみは、我々松ファンが投影されつつ彼らと干渉し合える別世界軸の存在だけど、そう考えると1期灯油のダヨン娘も実質私たちチョロクラの権化なんだよね(?????)」
ダヨン娘、私のなりたいものやりたいこと全部やってくれた………
私も私の世界線にチョロ松くんが来て「本当は(元の世界の)みんなに認められたいけど、口先ばかりで何もできない」なんて言ってきたら、目に涙浮かべて追い返すもん…… たとえチョロ松くんと結婚するチャンスがあったとしても……
ああーーー!チョロカル、永遠に交わらない!!!君の幸せを私は与えられない!!!!!(発狂)
それでもチョロ松くんが好きだよ…… 私はそんなあなたのことをずっと好きでいるし、幸せを祈っているんだ……
モノローグ作品、
作:(恋するニワトリ)
演出:(非実在アカハライモリ)
演:年代果林
って感じなんだよな……。理解してくれる人がこの世に何人いるかわからんからわざわざ言わんけど。
そしてある意味で、(恋するニワトリ)が年代果林に戻る物語でもある……
勝ったよおおおおお
オタク、自分の解釈のわかり手はどこまで行っても自分ひとりだから、苦しむ別のオタクに「ひとりじゃないよ」と言ってはあげられないのだけど、でも「私も難儀なオタクやってるよ」って身体張って見せることはできる。あなただけじゃないぜ、と。
勝ち抜いてしまった結果まだまだ本名垢でこの作品についての語りができないので(次が初見の人に「二次元に宛てた手紙」というバイアスがかかった状態で観られるのを極力避けたい)、まだしばらくここで脳内垂れ流してます。
使う道具にも衣装にも「緑」のアイコンを入れないように意識した。「6つ子の中の緑がイメージカラーのキャラクター」じゃなくて、松野チョロ松というひとりの人間と向き合いたい、ひとりの人間に届けたいと思った。
あとは徹底して自分の感情に嘘をつかない。嘘を言わない。腑に落ちた言葉だけを口にする。
構成はフィクションだけど(上演の尺もありますし)、恋心はいつだってノンフィクション。
チョの「言い訳して向き合えないの愛しいしわかる」「でもちゃんと“認められたい”と口に出来た」ところが愛しい、という話をしたけど、そういう自分も「これは自叙伝です」という予防線を張って、実はある種の“楽器”としての俳優の仕事からは逃げている。演技というよりポエトリーリーディング寄り。
「どんな凡人でも人生に一度だけ傑作が書ける、それは自叙伝だそうだ。ならこの手紙が私の傑作になればいい」と宣言してしまったので、このまま勝ち進んでもテキストは変えません。(役者がポンコツだからすぐ似た言葉にすげ替えちゃうけど)(この瞬間ならこっちの言葉の方が腹落ちがいいってのがある)
自転車を持ち込んでスタンドのまま漕いだり、恋するニワトリの歌に合わせて紙を食べてみたり、最後は好きだよって言いながら封筒と紙吹雪をばら撒いたりしました。封筒は天井に当たって全部ブチ落ちてきました。
わりと仲良しでよく個人ラインもするレベルの芝居仲間さんから「いやオタクなのは知ってたけど、ここまで重症だとは思わなかった……」と言われたのがおもろかった(そのための垢分けやねん)(松垢で垂れ流してること本名垢で勢いそのまま流してたら友達も仕事もなくすわ、知らんけど)
2019年8月24日
昨日の撤収後は「私の表現がこんな多くの人に届いて、価値あるものだと言ってもらえた、それだけで十分だ」と思っていたのに、やっぱり賞レース、今日の他ブロックの人たちの得票や見てない作品の感想だけ流れてくると「私のは劣ってるのではないか」「進出できたのも組合せがよかっただけだ、運だ」と感じてしまって、ああこれが、最初は表現が楽しかっただけなのに数やお金との折り合いを考え出すことか、その予兆かと思ってしまったし、もうあの作品はチョロ松くんと私だけのものではなくなってしまったのだ、外に出す、人目に晒すとはそういうことだと改めて感じた。
でもだからこそ、準決勝でもう2ステージ(ステージ数が増えたぜ!)やる時には、作品として「チョロ松くんと私」の純度を下げてはいけない、そこにしか価値がないし(現に技巧面ではたくさんダメ出しもらったし自分も自分にオコである)、そこの価値を汲まれて進出できたのだ、ということを忘れてはだめ。
私は自意識が基本的にライジングしてて、そういう大事なことすぐに忘れるから、書き残しておく!
演劇の演出、「こーーーーんなに好きなんだよ!」というのを、どうやって理解してもらえるか大喜利みたいなもので、でも、両手をいっぱい広げるよりも、もっと伝わる/伝える方法ってたくさんあるから、面白いなぁって、初めて芝居が楽しかったなぁ。初めてでもないけど。
「あなたと同じ二次元に行きたいから紙を食べてみちゃうくらい好きだよ!!!」とか「両手いっぱいの手紙を届けたくなるくらい好きだよ!!!」とか「あなたに会えるのならどんな距離だって自転車漕いで駆けつけるよ!!!」とか、そういうのが、表現、なのかもしれない。
同人誌作る人たちが、技術(ex.クリアファイルに紙を入れると背景が消える)を手にして表現(ex.もういないキャラを背景レイヤーにして分かつクリアファイルを創作する)ようなワクワク。もしかしたら表現先行で技術をどうすべきか考えるかもしれない。そういうのって、オタクの人たちの方が貪欲だからすごい刺激もらってた、松きっかけで二次創作も見たりするようになって。
採算や客受けを度外視した、自分の衝動の昇華、という意味で、やっぱり私のこのひとり芝居は同人誌なんだよな(商業作品、の反対語としての)
2019年8月25日
なんかまぁ、狭い業界内の、さらに身内が主宰者の催しなので、ある意味でライバル視してる相手とか、こいつには負けたくねぇなって相手とか、この人と戦いたいなって相手とかが、勝ったり負けたりして内心はザワザワざわついておりますが、だからこそ「私とチョロ松くん」を貫いて、そこを見なければ。
そうなの
私は誰かに見せたりアッピールするためにチョロ松くんを好きなわけじゃない……
もっと「映え」る相手も感情もある、それでもこれを表現せずにはいられない……
2019年8月26日
自分の必死で泣きそうなほど切実な届かない想いを吐露したら、目の前でたくさんの人に笑われたの、ビックリしちゃったけど、そうかこれが6つ子たちの見てる世界だね!君たちがもがけばもがくほど面白コンテンツになる、私もそちら側に行けるだろうか。赤塚せんせーーーーっ!!!
モノローグというよりはポエトリーリーディングとか詩のボクシングとか、そちらの方がニュアンスが近いし適してると思ったけど、募集してたのがモノローグしばりアンソロだったので……(物の例え
でもだからこそ、俳優が言葉以上のパフォーマンスで見せるにはってところに知恵を絞ったつもりではある。
自分、ものすごく感情に対して適切な言葉を探そうとするのだけど、わかって欲しいからじゃなくて、誤解されたくないから、せめて自分の心と言葉は一番擦りあった表現をしたいのだなと、あらゆる自分の言動について思う。
チョと出会うまでの私の恋は、どうやって気をひくか、どうやって見てもらえるか、そればっかりだったけど、一方通行の夢女になって、何を与えられるか、何をしてあげたいか、ということも考えられるようになって、結果、生身の人間とも交際できる程度の社会性を会得できたんだな……。
2019年9月11日
まだ松野君からの手紙の返事ら読んでないのだけど(読まない限りは「読んでない松野君からの手紙」が手元にある状態なのだ、それはどこかの企業がキャンペーンで用意したものではなく、松野君からの返事なのだ)、なんか使用フリーフォントはこれです!みたいなツイットを見かけてしまい、いや松野君が書いたに決まってんだろ!?!!!と解釈違いを起こして拗らせ夢女人生がつらい。(ツイット主さんは悪くない)
2019年10月16日
まだ返事あけらんない。パンドラの手紙。
2019年10月17日
チョに宛てた手紙モノローグ、次が準決勝なのですが、劇場なので本火(ガチの火)はダメだよ、どうしてもやりたいなら決勝まで行ったら消防法まで面倒見てやるよ、とスタッフさんに言われて、手紙を燃やすという演出はできてないのですが、これ決勝行けたら、一番最後の「ありがとう」だけ封筒燃やしたらどちゃくそ泣けるじゃん(私内調べ)ということに気づいたので、もし勝ち進んだらそうします。備忘。
松野くん、と、たくさん呼びかけているけど、そうなんだよ、私は、6つ子の三男が好きなんじゃなくて、松野チョロ松という人間を、愛しているんだ、彼という個人と向き合いたいと思い、願うんだよ……。
2019年10月18日
昨日仲良しの照明さんに「あのタイミングでの明かり変化って効果的かな?」と聞いたら「意図によるけど」と言われて、自分としては絶対に「ここだ!」ってタイミングで変えてたのだけど、何故「ここだ!」と思うのか言語化できてなかったなーと考えて、5分間のこの手紙は3部構成になっているのだなと自分で気がついた。
冒頭は「同じ次元に立つチョロへの言葉」、中盤で「回想と次元の差の認識」、終盤で「次元が違うことを理解した上でのチョロへの言葉」。現実と向き合うという意味で、“恋するニワトリ”の成長譚でもある。
色々分析すると、我ながらなんと上手い構成だろうと思うのだけど、自分で予防線張ってる通り「自叙伝1本ならみんな奇跡の傑作が書けるよ」って話で、これを仕事にして品質を保つのは難しいから、世の職業作家はスゲェなと思う。
でも自分のやりたい作品のために自分の引き出し全部開けてみるの楽しい。
冒頭の一文で「ラブレターなんて書くの初めてだから」と言ってしまうことで、これはラブレターですと提示してしまうの、5分という制限の中で天才すぎるのでは(自画自賛スタイル)
ガガガSPみたいなのやりたいんだ。『京子ちゃん』ならぬ『松野くん』なんだ。
というかガガガSPの『卒業』が一番近い。歌詞と私のテキスト並べると受ける印象は真逆だけど、結局は「あなたを思い続けたままでは前に進めないけど、あなたを想う日々は幸せだ(った)よありがとう」ということなので。
昨日のリハはやたら謎の自信があったけど、わーこれは、強豪揃いだあ、と、いう、気持ちになっている。
やることをやるだけ!!!
2019年10月19日
明日が最終回かもしれない、と思って、演目の最後に「追伸」をつけるか迷っている。追伸、三年かかったけど、私は私の世界で幸せになれたよ、と。
自分の自己満足としてはそりゃつけたい。つけたいのだけど、物語としての強度は落ちる。自分の作品、やりたいことやるのは一番だけど、作品の作り手としては、それを許していいのか、という話になるんだよな。
演目はほぼピッタリ制限時間5分で作ってるので、追伸を入れるのを自分でゴー出すにしても、ドラマとして展開する余裕はない。
一番(自分含め)誰も損をしないところだと、まぁ台本を公開する時にこっそり追加する、とかかな。
限界夢女子を発狂型面白コンテンツとしてお楽しみいただいた場合、共感にしても、鑑賞対象として笑ってもらうにしても、最後にフリもなく「あ、でも今は幸せなんですけどね!」ってだけ入るのは、よくないな、うん、よくない。(書いててなんか腑に落ちたらしい
チョロへの恋愛妄想の日々で恋愛意欲がわき、幾ばくかの勇気を得たことで旦那氏にアタックできて、いまうっかり幸せハッピーなことは、また改めてどこかにしたためるしかない。というか、本当は「ねこの森には帰れない」をモチーフに、夢女子を卒業してしまった悲哀の話も書きたい。
いま気づいたのだけど、私がもともと面識あった旦那氏にアプローチする勇気を出せたのはチョへの疑似恋愛を経たからなのだけど、でもそもそも、松を見たきっかけ自体が、旦那氏との接点が欲しくて共通アニメ見ようとして登録したdアニメストアで目についたからだったのだな……?なんだすげぇな、運命か?
振り返ったら、考察アンソロで文章寄稿、カプアンソロでイラストカット、同人動画メドレー企画で動画と、わりとあらゆるジャンルの松創作に、企画に乗っかる形で関わらせてもらったんだな……。そして最後はモノローグ演劇祭というオールジャンルアンソロに、演劇で。なんかウケるな。
このチョへの手紙モノローグが終わったら、チョロ×鶏至上主義から、旦那氏×私の家庭と、でもチョロは可愛い、という感情に落ち着けてしまうかもしれない。それは寂しいことではあるけど、卒業なのかもね。
感情って、昇華されてしまうものなのだなあ。
しかしだとしたらずっと何かの代替品としてチョを殴り続けてしまったことにもなるのかもだけど……。でもそこは二次元だから……。生身の人間相手ではない、そこにズルさを求めてはいけないのかもしれないけど、でも、事実、ね。
恋と信仰は似てるけど、信仰が愛になるのは難しい。
2019年10月20日
ちゃんと松野くんに、ありがとうとさよならを言えたのだ、きっと私は。
と、Cさんのツイートを反芻して、改めて実感が湧いてきて涙出てきた。
ああ、恋だったなあ。ひとつの青春だったなあ。
その想いと時間を一緒に駆け抜けた友に見届けてもらえて、本当によかったなあ。(Mさんありがとう)
もう少しコンテンツとして「消費」しやすいフィクションに振った方がよかったのかなとは思うけど、そこはやっぱり演出家がいないと微調整はできなかったし、でもどんな演出家も私のわかり手ではないので、同人誌としてはこれがベストだったんだろうな。
例えだけど、同人誌でも、想いや萌えをぶちまけるにしたって、画力の高い方が多くの人の目に止まるし手にとってもらえるのと同じで、今回のポイントや感想量という結果を見ると、つまり神絵師(適切な鍛錬を積んで表現力を磨いた人)の方が頒布力あったというだけなのだなぁというところに腑落ちした。
熱量を人に届ける「技術」がある方が、多くの人に届く。当たり前だけど。
技術のないひとの情熱の価値がそれによって落ちるわけではない、それは大前提だけど、ああ技術を磨く意味ってそこにあるんだなあ。(表現者志して何年目だ
逃げたら、チョにもらったものも全部、嘘にしちゃうなと思って踏ん張れただよ。結局最後に人を支えるのは信仰だと思う。恋でも愛でもなくあの感情は実は信仰。
チョは2期でまぁわりと人格としては振り出しに戻ってた部分も大きかったから、そこはまぁ、複雑ではあったけど……。手紙の燃えなかった世界のチョを信仰するので……。
モノローグ演劇祭な2日間でした。
— 年代 果林🐓 (@NendaiKarin) 2019年10月19日
足を運んでいただいたのにご挨拶できなかったみなさま、ありがとう、ごめんなさい!目撃してもらえて嬉しい!
終演したら手紙載せようと思っていたのに、自宅宛にお願いした荷物に入れちゃった!予選後の時に撮った初稿載せとくね!いま私は夜行バスです!法事です! pic.twitter.com/l5Ay5EjVHc
初稿版、全文。
— 年代 果林🐓 (@NendaiKarin) 2019年10月19日
準決勝用は大枠変えず語順や単語を精査した、かも。
実は今日の回、演出を変えようと思って最後に言葉を足すか、2時間前まで迷いに迷って、それでも自分の芝居に託してテキスト変えずに挑んだ部分が、ちゃんと届いて、なんでしょう、ビックリしちゃいましたね。ありがとうございます。 pic.twitter.com/RnFVnSh1V5
私は、私の物語を、私の手で、私の持ち物を使って、誰かに観てもらうことができて、本当に幸せだったなあ。自分でケツ拭くって、なんて怖いことだろう。
— 年代 果林🐓 (@NendaiKarin) 2019年10月19日
あと、ひとりでやってみて思ったのは、本当に演出家さんという存在は偉大ですね。実家を出て初めて知る親の有難さ、みたいな。芝居何年目だお前。
そういえば昨日、1回目のあとに小野寺さんとお話させていただく機会があったのですが、「届かないと思ってる人は”届きませんように“とは言わないよね」と言い当てられたのが、あまりに見事すぎて膝から崩れ落ちました。 https://t.co/gaFBms3L1t
— 年代 果林🐓 (@NendaiKarin) 2019年10月19日
恋するニワトリ / 谷山浩子https://t.co/5XiqMTC7cN
— 年代 果林🐓 (@NendaiKarin) 2019年10月19日
ガガガSPみたいのがね…
— 年代 果林🐓 (@NendaiKarin) 2019年10月19日
やりたかったんだ……
ガガガSPの『京子ちゃん』とか『卒業』みたいなやつがね……
パンクな… パンク… やりたかったんだ……
モノローグ演劇祭、準決勝、全ブロック終了おつかれさまでした。そして撤収、運営や協力スタッフのみなさん、本当にありがとうございました。
— 年代 果林🐓 (@NendaiKarin) 2019年10月20日
自転車を持ち込みたい、天井にぶち当たる手紙と紙吹雪を撒きたいという私の無茶な相談に乗っていただき、作品を実現してくださった運営の皆様に感謝します。
法事が終わり、祖母の家で親戚一同でラグビーを見ています。この試合が準々決勝で、敗れれば終わりだと知ったとき、私スポーツのルールもわからないのに急に感情移入してしまって、一昨日の川上珠来さんのモノローグと小野寺さんの評を思い出しました。
— 年代 果林🐓 (@NendaiKarin) 2019年10月20日
あ、ああ。
試合が終わってしまった。
審査員のみなさまも、本当にありがとうございました。クローズドの予選でこの作品の産声を聞いてくださった協力者の方々。本戦審査員の表情豊さん。本戦から準決勝まで3回観てくださった小野寺さん。準決勝の2回を観てくださった國吉さん、古田島さん。客席から見届けてくださったシャトナーさん。
— 年代 果林🐓 (@NendaiKarin) 2019年10月20日
そしてやっぱりとにかく、足を運んでくださったお客さま!お客さまが立ち会ってくださって、そこに演劇が生まれるのだなと。企画自体が私とても好きなので、気にかけて観に来ていただけたこと最高嬉しいです。
— 年代 果林🐓 (@NendaiKarin) 2019年10月20日
競演者の皆様にも感謝を。ひとりで戦ってるのは自分だけじゃないこと、勇気もらいました。
負けに不思議の負けなし。
— 年代 果林🐓 (@NendaiKarin) 2019年10月20日
「わたし、書いてみて分かったんです!書きたいだけじゃ駄目なんだってこと。もっと勉強しなきゃ駄目だって……」
雫ちゃんのダブルスコアで何言ってんだですが、今回自分を乗り越えるための戦いに挑めたこと、その上で圧倒的な人たちに叩きのめされたこと、よかったです。 pic.twitter.com/5lN0uTdIbu
自分で書いた言葉なんだけど「言い訳並べて最初から勝負しなければ、負けることはないもんね」って、これ本当に自分に一番刺さる言葉で。準決勝進めたときも、ウワァこわい天変地異でも起きないかなとか思うくらい怖かったんだけど、いま、正々堂々と負けれて、ああー!年代果林、よく逃げなかったよ! pic.twitter.com/xuylhj7hJ5
— 年代 果林🐓 (@NendaiKarin) 2019年10月20日
松野君への追伸
あなたの決心に勇気をもらって、私も前を向いたあの年。
あれからあなたと私が再会するまでに、2年経ちました。
アニメ『おそ松さん』第2期です。
どれほど心待ちにしたことか。
でも、あなたはギャグ世界の住人だから、あの決心も就職も全部なかったことになっちゃってて。
私は、あなたからもらった勇気を胸に現実世界を生きて、事務所に入って新しい仕事をしたり、あるいは、高嶺の花だと思っていた憧れの人に勇気を出して声をかけて、お付き合いを始めたというのに。
2年ぶりに出会ったあなたの物語に触れたとき、
白状します。
私は、もう、あなたの気持ちに寄り添えなかった。
「社会的な劣等者である童貞ニート」のキャラクターを、どこか見守るような、慈しむような目で見るしかなかった。
その時わかりました。
あなたを想った日々は確かに私にとって本物でした。
でも、あなたはそこから離れられない。歳も取らない。
あなたは永遠の若者で、変わらなくて、そして私が死んでも、永遠に新しい世代に愛されてゆくのでしょう。
まるで神様か精霊に恋をしてしまったよう。
私ばっかり歳を取ってゆく。そして、変わってゆく。
あなたに勇気をもらって、行動して、私は素敵な人と出会いました。
友人も、仕事仲間も、恋人も。
「モノローグ演劇祭」という企画に挑むことを決めました。
最初は脚本家さんに台本を書いてもらったけど、身一つで自分が挑めるチャンス、どうしても諦めきれなくて、やっぱり自分で書くことにしました。
私は「3年前の私」を演じました。
初めて、自分の身体と肉声で、あなたに想いを伝えたのです。
こわかった。
ずっと、胸の奥につっかえていた、隠しておきたい、私だけのものにしたい、見られたくない、後ろめたい、気持ち。
黙ってれば誰にも知られないけど、あなたにだけは知って欲しかった、そんなズルい気持ち。
3年前の私の手紙のあとだけど
いまの私からの追伸を添えさせてください。
ねえチョロちゃん。
私、結婚したんだよ。すごい素敵な人。
どこまで行っても会えない喋れない触れないあなたと違って
抱きしめてくれて、一緒に散歩をして、
叱ってくれて、毎朝毎晩新しい表情を向けてくれて、
私はね、この世界で、ちゃんと私なりの幸せに手を伸ばして、
そしてその手を取ってくれる人に出会えたんだよ。
だからチョロちゃん。
あなたのことはずっと好きだけど、
私は私で、幸せになるからね。
勝手に幸せになるからね。
永遠の私の「推し」松
松野チョロ松くん
“新作”で、また会おうね。
松野君への手紙(あるいは恋するニワトリの生んだタマゴ)
舞台の中心に、白い雨合羽を着た女が立っている。雨合羽のフードにはニワトリの顔が書いてある。
女の奥にはママチャリがスタンドで立ててある。
女はB6サイズの白紙を両手で持っている。
暗転
「松野君への手紙」
明転
松野くんへ
誰かにラブレターを書くのなんて初めてだから、ちょっと緊張しています。
どんな凡人でも人生で一度だけ傑作を書ける、それは自叙伝だ、という話があるのなら、あなたに宛てたこの手紙が、私の書く唯一で最高の作品になればいいなと思います。
松野くん。
あなたはとても優しくて、弱くて、ズルくて、笑った顔が可愛くて、努力家で、ゲスくて。私は、そんなあなたのことが、好きです。
私、今まで誰かに告白する勇気なんてありませんでした。
今こんなことを言えるのは、あなたが、絶対に私の声の届かないところにいるとわかっているからです。
松野くん。松野チョロ松くん。チョロちゃん。
わたしは、あなたのことが大好きです。
あなたは例えば女の子に声をかけるのだって「あんな美人、僕には釣り合わない」とか、
就職にしたって「もっと合った企業があるはず」とか言い訳ばっかり饒舌で。
わかるよ。怖いんだよね。自分が評価されること、自分が何者でもないことを暴かれること。
言い訳並べて最初から勝負しなければ、負けることはないもんね。
なのに、そんな自分がどう見られてるかには人一倍敏感で。
ちゃんとしなきゃ、しっかりしなきゃって、気持ちばっかり焦ってて。
そんなあなたが、兄弟たちとの競争の中で追い込まれてついに叫んだ「認められたい」という言葉。
それは私の中にもずっとあった言葉で、だからこそ、それをついに口に出したあなたのことを、好きになってしまいました。
そしてあなたはついに自分と向き合い、就職もして。あなたはギャグ世界の住人という宿命から逃れられないから、地球は爆発してあなたの決意もすべて塵と化したけど。でもね。
私、あなたの姿に勇気をもらって、事務所のオーディションを受けました。あなたが描かれたキーホルダーをお守り代わりにして。
女、自転車に乗り、その場で漕ぎはじめる。
ファミマとのコラボ、ローソンとのコラボ、人気のグッズはすぐなくなるから、あの頃は朝から自転車でコンビニをハシゴしました。
桜が咲いているのを見つけたり、川で魚が跳ねるのを見つけると、この町であなたと暮らせたらなんてひとりで妄想しました。
あなたのグッズもたくさん集めました。でも、結局それって結局ただの絵で、それ以上でも以下でもなかったんです。
自転車のブレーキをかける。
この恋は私にとって絶対に負けない戦いでした。だってあなたは実在しないから。だけどもその代わり、絶対に叶わない恋でもあったんです。
自転車を全力で漕ぎだす。
チョロちゃん、チョロちゃん。
この自転車をいくら漕いでも、あなたの元へはたどり着けない。あなたの世界線と、私の世界線が交わることは決してない。
何かに思い至り、ブレーキをかけて自転車を止め、歌を口ずさむ。
谷山浩子『恋するニワトリ』の三番。
あの人 立派な風見鶏
私は小さいニワトリよ
貝がら食べても鉄にはなれぬ
貝がら はじける胸の中
歌の途中で手紙を破り、口に運び、食べる。
小さく笑う。
自転車を降り、手紙をビリビリに破り捨てる。
が、
でも、だけど、だからこそ、それでも、私はあなたのことが好きで、たとえば私が会社で理不尽に怒られた時、どこか別の世界の空の下であなたも社会と、自分と戦っているのだと思うとその事実が、誰かが「妄想」と呼ぶであろうその事実が、私を救うんです。
ちゃんと、伝えようと思いました。
3年もかかっちゃったけど。
自転車のカゴから両手いっぱいの封筒を取り出す。
空に向かって力いっぱい放り投げて
チョロちゃん、大好きだよ。
封筒は天井にぶつかり足元に散らばってゆく。
封筒と共に投げられた、手紙にならなかった紙片が紙吹雪のように舞う。
届きませんように。どうか、届きませんように。
あなたはあなたで勝手に生きてください。
私も、私で勝手に生きます。勝手に好きでいます。勝手に勇気をもらいます。
そして時々こうやって、ひとりでタマゴを産んだりします。
チョロちゃん、ありがとう。
恋するニワトリより
一礼。暗転。