アカイモリ企画

両生類とは水でも陸でも生きれるということでなく水と陸がないと生きられないものたちです

職場にあのアレの陽性者が出た話

もう禊も済んだので(???)打ち明けますと、3〜5週間前(ぼかしてます)に職場の同フロア同ブースで某新型ウイルスの陽性者が出まして、身の回りが大騒ぎだった時期がありました。

 

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夏の終わりで完全に油断してたというか「今!?」という感情になったし、まだまだ終わらないんだ、ということ、自分の行動も誰かを危機に陥れうる、ということへの気づきでハッとしたりして。

判明直前に会った人にどこまで知らせるか? その人は私と会った日以降に誰と会ったのだろうか? グルグル考えたり。

結局私は「濃厚接触者」には当たらないとの保健所(だと思うけど別の機関だったらごめんなさい)からのお墨付きが出たからよかった。

業務場の消毒が完了したあとは普通にそれまで通りの勤務が再開したので(not対面接客業)、私自身も仕事が再開して以降は普通の買い物や節度を守ったレジャーを楽しんだり、つまりは夏のそれまで通りの生活に戻った。

仕事に行けるなら人間の生活も許されるだろ。許されろ。

ただ、劇場に行くのはどうしても怖くて、陽性者発覚2週間の間は、せっかくいただいたスポットのお仕事なども断ってしまった。

うう、劇場に行きたい。灯体やケーブルに触りたい。

自分の行動が誰かの人生や作品を狂わせる可能性がある、というのは、本当、震えてしまう。なんつう世の中になっちまったんだね、まったくね。

 

「感染者を責めてはいけない/責めても仕方ない」という"人道的に当然な考え"を今まではきちんと持っていたけど

それでも判定が下る前、自分が濃厚接触者かもしれなくて仕事ができないという時期には、やはり「これからどうしよう」「職場が再開しなかったらどうやって食っていこう」「職場に感染者さえ出なければ」という感情が生まれたし

これを人道的"正しさ"で抑え込むには、やっぱり補償、働けない間、そしてその先の未来に対しての不安を取り除くしかないんだなと痛感した。

綺麗事言ってる場合じゃない立場になりかけて、初めてわかる、というか、思い知った部分があった。

 

うーん、しばらくは私は「ただの風邪」という扱いをする気持ちにはなれないなあ。

取り返しのつかないこと、の、取り返しのつかなさが怖い。

楽しいことはなるべく我慢しないで、最善の方法を探しながらやっていきたいけどね。

 

わたしと落語と「鷺とり」と

ゆたかが「落語やりたい人!」と企画を立ち上げた。

昨年末のモノローグ演劇祭を経て、自分一人で自分のケツを拭ける状態でお客様に自分の面白いと思う表現を見てもらう、ということに味をしめていた私は、迂闊に「参加します!」とか言ってしまった。

落語、マジで今まで縁も興味もなかったので、そもそも噺選びの時点で、どうしたもんかな、となる。ニワトリの話を探す。マジで見当たらない。桂枝雀さんの「とり」という話のテキストを見つける。読む。惚れる。動画を探す。見る。なんだこの人、めっっっちゃ好きだ。めたくそ面白い。すげぇ。

落語、って、なんか、荒っぽかったり、皮肉っぽかったり、世の中を斜に見るイメージが勝手にあったんだけど、それがひっくり返った。こんなのありなのか。愛嬌があって、でもどこかおちょくってるようなところがあって、グイグイ引き込まれて、それでいてちょっと突き放すようなところもあって。

落語は古くさいと思ってる人が多いだろうけど、とは、落語好きの人がパンピーに勧める時の常套句だけど、そういう点でいうと、確かに上方落語ってそもそも何言ってるかわかんないんじゃないかとか、そんなイメージが特にあった。勝手に。私の中では。こんなに耳心地いいものだとは知らなかった。

ちなみに枝雀さんの話を完コピしようとしたけど3日で諦めた。これが人前に立つのが1年先とかなら違うけど、時間がなさすぎたし、テキストで覚えてしまうと、迷子になった時に客前で立ちすくんでしまう。江戸のことばでなら入れて繋げそうなアドリブも、上方のことばでは難しい。イントネーションが気になってノッキングしてしまう可能性も高い。

その頃は同じ枝雀さんの「鷺とり」を鳥つながりで聞いて、演目をこれにすると決めていたのだが、上方のことばで完コピするのはやっぱり諦めた。その代わり、古典ということで、色んな人の同じ噺を聞いた。

落語のここがすごい、と第一に思ったのは、同じ噺を色んな人がやってるのを聞き比べできることだ。解釈の違い、表現の違い。演劇だとこうはいかない。というか、比べるにしても、演出の腕なのか役者の腕なのかわかんないし、そもそも一本が長いから同じ内容のもの何度も観るのに気力やら体力やら使う。

「鷺とり」はほぼ一目惚れで決めたのだけど、この噺で私はよかったと、色々な人の演目を見て思った。なんというか、一番しっくりきた。まず、私は自分が演るにあたって、サゲが「アァなるほどそういう結末ね」としっくりくるものがよかった。あと"女を演じ"たくなかった。これは後から気づいたけど。

あと、落語というのはやっぱり基本的にその時代の価値観で書かれているから、それが自分の価値観と違うものはそこが引っかかって楽しくなかっただろうなとも思った。基本的にポリコレ棒ぶん回しBBAなので……。現代では~なんてフォロー入れても全然いいんだろうけど、それ私が演る意味はないかなと。

自分が「笑えるもの」と「笑えないもの」には敏感でいたいし、だからこそ、茶目っ気ならまだ許せるけど悪意がある(自覚の有無を問わず)人が出てくる話で現代に通じるリアルさのある話だと引っかかるな、というのはあった。sageる意図はないし、共演してた方の噺は演技力も相まってとても素敵だったのだけど、たとえば『厩火事』なんかは「人を試すために大事なモノ壊すとかマジ地雷」って思っちゃって駄目だった笑

落語、演じ方にもよるだろうけど、共感性羞恥が強い人にはしんどい展開の話が結構あるよね。パターンとして「モノを知らない人が、知ったかぶりで痛い目に合う」という展開は落語の定番も定番なワケですし。そこを笑い飛ばせるようにやるのが腕なのかもしれない。そもそもそういう人へはnot for youだよ、という部分もあるのかもしれないけど。

いま読み返してた枝雀さんの本にも書いてあったけど「鷺とり」はいわゆるファンタジーで、しかも動物を獲ろうとした男がヘマして痛い目みるという、ヒトの悪意が介在しない話だったから、このチョイスはよかったなーと。

本来のサゲの「一人救おうとして四人しんじゃった」はダークすぎて、というか、枝雀さんのを見たらもう、これは腕がないと笑いに変えられないオチだと思ったので、江戸の改変バージョンでやった。どちらもサゲの、ポーンと非現実に吹っ飛んでく感じが好き。んなアホなと。あー馬鹿話だったんだなと。

上方落語の「アホ」というのは、あれはいいですね。江戸落語の「バカ」という言葉、あれはね、なかなか強い言葉だなと私は思うので。今回の女性共演者さんには「ばかー!」とひらがなのような発声で(伝われ)上手いことやってる人たちもいて、あれはとてもよかったですけどね。私にはハマんないやつだ。

もっと江戸落語も、色んな人のを聞くべきなのかもな。準備期間となるべき1月後半が色々ありすぎて、ぎゃー時間が少ないどうする?演目しばりで見まくるか、という選択をしたので。江戸落語でも、しっくりくる人がいるんだろうな。出会ってないだけで。やだー!これからめちゃめちゃ楽しいじゃん!!!

今回は、演出・出演:俺!ってこったろ?じゃあ俺が楽しいと思う方向に進むわ!!というポリシーでひとつずつ選択していったので、たぶん落語の常識を知ってる人からすると「トーシロが色気だして見てらんねぇや」って部分も多かったと思うけど、でもやりたいことやれたからスッキリしてる。後悔もぜんぶ私のものになる、のは、嬉しいね。誰かのせいにできないものね。アンタそうやって逃げてばっかりきたものね。

なんか羽織って二ツ目以上じゃないと着ちゃ駄目って聞いたけど、初挑戦なのに着ていいもんなのか?て主宰のゆたかにきいたら「厳密にはそういう感じらしいけどこの会はそういうのじゃないし」と言われたから、それならと白い羽織探したし、それを鷺逃すところで脱いだらお客様に面白がってもらえたし、

なんかこう、私コレいいと思う!ってのを、思いつきでも挑戦してみてよかったな。怒られたら次考えればいいんだもんな。髪型もほんとはまとめるつもりだったんだけど、着物きてとりあえずポニテでネタ見せやったら、記録写真みて「着物にポニテ可愛いやんけ」と思って、本番でもイキにしてみたら落語知ってる方にも新鮮がってもらえたし。鶏冠に見立てたカンザシもさしてね。ポニテにカンザシは確かにカンザシの意味ないし、意味不明ちゃ不明なんだけどね笑 ブローチみたいなもんですよ。そこにあったら可愛いと思ったの!

 

ここまで書いて力尽きてた笑

寄席三十九楽しいっす。

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ヴァーチャル幻想 短編

飼育下では育成できない動物に触れ合う機会をどのようにして設けるかという点において、VRつまりヴァーチャル・リアリティが注目を浴びる時代。

すぐれた未来の技術では触感も臭いもすべて目の前にあるかのように再現され、ジャイアントパンダの尻尾にもアフリカゾウの牙にも頬ずりできる。

そんな技術は個々人の生活にまでいずれ普及してきて、病気で死んだイエネコのぬくもりも、車に轢かれたポメラニアンの臭いも暮らしに再び戻ってきて、ついにはこないだ往生したオジイチャンまで食卓を一緒に囲めるようになる……のではないか。

そうなってくると、生きているものと生きていないものの違いはなんだろう、それならば不完全なこの世界で生きるよりも、早く理想のヴァーチャル世界で、汚れないまま美しいままの存在になりたい。

そう考え、必要なデータを残しこの世の身体を棄てようとした青年は、いまわに気づく、周りの家族や友人はすでにみなヴァーチャルの存在で、自分が最後の生身の人間であったと……。

 

2017/03/01

私たちは次世代にレガシーを遺せるだろうか

小劇場クラスタ内で、とある舞台で大量降板が出たことが話題になっている。(15人降板!)

 

色々なことを言う人がいる。いるなあ。

 

思う。

悪事や不義理が「淘汰される」なんて、嘘だよ。

何も知らない人たちが毒牙にかけられていくだけ。


Twitterは「記録の蓄積」に圧倒的に向いていない。

たとえば「2015年に日暮里の某劇場であった舞台演出に関する騒動」と言って、どれだけの人が劇団名を思い出せる?

「2013年に某企画で起きた架空予約事件」の教訓はどれほどの人が覚えている?「2012年の某体験型公演で観客が演者に強制わいせつを受けた件」は?

数年前の某演出家の性的なハラスメントだって、レイプ事件だって、曖昧じゃないか。泣き寝入りだって少なくない。

人は、私たちは、忘れていくんだ。

 

だからこそ「体系立てて記録を残していくこと」「その時の対応・反応・結果を歴史として共有していくこと」こそが、必要なんだと思う。今はそれが、弱い。小劇場に限った話ではないけど。

 

不誠実な者たちは淘汰されると信じたい気持ちもわかる。私も信じたい。
でも、それは「耳心地の良い嘘」だ。

 

私たちは……舞台演劇を愛する人たちはきっと、夢や魔法や奇跡を信じてもらったり、あるいは、ここではないどこかへ行くための手助けをしたいと願っているから、

だから内幕や白鳥のバタ足の部分は見せたくないと思っている。なので内々で処理される話も多いのでしょう。


何が大多数の幸せなのか。

 

わかんないなあ。
わかんないよ。
でもね、きっと楽しい道もあるから。
出会えますように。
どうか、出会えますように。
お芝居は楽しいよ。それは本当だよ。

 

……しかし何が虚しいってさ、たとえば「3人降板」とか、あるいは逆に「公演中止」とかだったら、ここまで話題になってなかっただろうなというところなんだよな。

 

「不誠実な奴は淘汰される」という幻想、言い換えると、その不誠実な奴の起こすトラブルに巻き込まれた人たち(いわゆる"被害者"的な立場の人たち)に向かって

「お前のような、不誠実な奴を見抜けず加担するセンスのないやつがいるから、悪がなくならないんだ」って言ってるに等しいので、傷口に塩を塗ってるなと、それだけは思いますね。

アカイモリ企画2020年1月の記録

メモ

本名のTwitterでは、出演作の出来を、作品を貶さない。わざわざ出演作を調べて、お金を払ってくれるお客様のその選択への誠意。
誰かの地雷は誰かの推しなので、その作品が救う心もあるかもしれない。うるむ瞳もあるかもしれない。その体験まで貶さない。

2020年1月16日 02:56:16

 

 

この先は本来、お客様に見せるべきでない裏側のつぶやき。

白鳥のバタ足。

だけど残しておく意味を感じて、ここに残します。 

あくまで一人称の、ただの関係者の一人の視点です。

 

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劇団粋雅堂『NIGH』と神田川雙陽氏について

‪蒸し返すことに躊躇はありますが、助けてくださった方の名前は挙げたのに、重要な人物の名前がなかったので、今後関わる方がもしいたら、のために。‬

 

‪#劇団粋雅堂 の神田川雙陽氏(@SUIGADOU)が、今公演『NIGH』の主宰・脚本・音響・メカニックでした。‬

 

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アンドロイド研究の第一人者・石黒浩氏の研究室に勤め*1、某若手劇団の座付き音響も担い、アニメ監督の水島精二氏とも親交が深い(実際、アフタートークにご登壇いただいておりました)という神田川氏。(とある著名な演劇人の座組で仕事をしていたという話も本人からうかがっておりましたが、こちらは非公開情報であったとの指摘を受けたため名前を伏せさせていただきます)

その経歴を聞いており、また、私自身もSNS上で彼とは8年近い親交があった*2ため、信頼してしまっておりました。

このような事態になってしまったこと、その上で未だに個人的な連絡もいただけない*3ことが、非常に残念です。

 

安全面、製作面で言いたいことは、例えば‪KASSAIの規模なら仕込み日だけでも専属のプロの舞監はつけてくれ、タイムスケジュールが劇場入り前日どころか劇場入りしてもないのおかしいだろ、など、キリがないですが、

結局個人的に一番残念なのは、出演の決定打となった要素である「アンドロイドとの共演」「ロボットアームとの共演」が果たされなかったことですね。‬お客様にも、私のツイート以前に指摘されていた。

 

自分の身体の管理もできなかった*4役者が何言ってるんだって感じですが。ごめんなさい。

 

一般の観劇ファンの方が、この粋雅堂の過去公演をご覧になっていたそうで

 

(オープンなツイートの引用ですが問題ありましたら言ってください)

その記録を読んで、これを知ってたら出演しなかった……と思ったので、私も簡単にですが、記録に残しておくことにしました。

細かい内情については、どこまで残すかわかりませんが……。

 

 

 

降板の流れ

2020年1月18日

11:54 Twitter に上記ツイート(画像ツイートの方)を投稿

12:01 舞台監督に「池袋(劇場)には行けない」とこちらから連絡

   ※この時はまだ「降板」と明言しなかった・電話が入ったが取れる状況になかった

12:19 制作部から確認がきたため降板の意思を伝える

12:30 主宰Twitterより降板の告知 

14:00 昼公演開演

 

役者として、正規の手順を踏まない状態でのギブアップでした。

改めて思い返すと、私自身、もっと方法があったのではないかと思うし

お客様をはじめ、私のせいでご迷惑をかけてしまった方もたくさんいます。

本当に申し訳ありません。

 

そちらの事実も併記したうえで、誰かを断罪したり批判するための記事ではなく

あくまでひとつの記録として、残しておきます。

*1:https://note.com/suigadou/n/ndbb86fa07e7a

*2:過去に粋雅堂のギャラリー公演も観劇していました⇒http://nendy.hatenablog.com/entry/2017/06/28/000000

*3:1月21日深夜、連絡いただけました

*4:私は金曜昼にストレス起因の急性腰痛症を発症、金曜夜は出演しましたがその後降板となりました

舞監をください

「舞台監督」という言葉は日常生活にはあまり耳馴染みのない言葉で

普段から観劇を楽しんでるよ!という方でも

どんな仕事かイメージできないというお客様は多いかもしれません。

 

映画監督舞台版でしょ?と思った方。違うのです。

それはだいたい「演出家」と呼ばれる部署の仕事です。

端的に言うと、工事現場などにいる現場監督舞台版です。

 

公演全体の完成図を把握し、どの工期で何をすれば間に合うか采配し

舞台美術家と照明家と音響家と演出家のやりたいことを

一番ベストな形で実現するために奔走する部署です。

(舞台美術と舞台監督を兼任なさるかたもいますが

 それはあくまで兼任で、もともとは別の部署で別の能力です)

 

そのうちの一環として

「やりたいことを全部やろうとする人たち」に

「現実を突きつける」ポジションでもあります。*1

そこに物を置くと人がぶつかるので見栄えが変わらないこちらから吊りませんか、とか

そこまで水を撒くとお客様に被害が出るから見せ方を変えませんか、とか

怪我をした出演者の安全を確保したり、このラインまで負傷したら

舞台には立てないから諦めて別の方法を探ろうねと提案したり。

地震や火災の時に公演中止を判断するのも舞台監督さんです。*2

 

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これは舞監がいない現場で私が作詞した名曲

 

 これは私が世界で一番信頼してる舞台監督さんのツイート

 

プロの仕事を素人だけでやろうとすると
・なにが必要なのかわからない(困ってから判明する)
・必要なものの入手方法がわからない(調べる時間がかかる)
・必要と思われるものの現物を入手してみないと、本当に必要なのがそれかわからない
から、時間のコスパがすごく悪いです。

 

プロの舞台監督さんは、困ったことがあったときの乗り切り方とか、そもそも劇場ごとの特徴(幕が変形、平台が変形、○○がない、○○は申請制etc.)を知っててノウハウの蓄積があります。

個人的には劇場入り後は基本「時間」と「思考する余裕」が一番価値のある、金を払っても確保すべきものだと思うので(もちろん「安全」もだけど)、プロの舞監さんを頼まないと、結果的にお金も時間も余分にかかる気がします。

 

もちろん、最近はギャラリー公演やカフェ公演など様々な規模のお芝居があるので、どんな公演もすべてプロの舞台監督がいないと信用ならない、ということではないと私も思います。

個人的なラインとしては

・プロの美術がベタ付きでいられないのに大掛かりな吊りものがある

・人の身長より高いアクトエリアがある

・専業スタッフがひとりもいない(音響照明を役者/普段役者しかやってない人で回すなど)

・タイムテーブルを組める人間がいない

・劇団や企画者が裏明かりや蓄光テープなどを自前で持っていない

場合はプロの方に、少なくとも仕込み日だけでも、お願いした方がいいのではないかなと。

個人の感想です。むしろプロの舞台監督さんのご意見お待ちしてます。

 

書きかけだけどとりあえず公開するよ!

書き足してまとまったらツイットするよ!

 

*1:予算面では製作スタッフのお仕事なのでしょうが

*2:現場によって違うこともありますが強めの決定権はあります